2023年度 今月の寄稿文

2023年12月

 

      2023年に思う

                           Nさん

 この夏は異常気象が日常になる程の暑さで、又急な気候の変化でさまざまな被害をあちこちに残しました。

 加えてロシアのウクライナへの侵略が続いている中、日本も今年は学徒出陣

80年になるなど、愚かな戦争について深く考えさせられました。考えさせられたというよりも、考えるチャンスを与えられたのかもしれません。

私の知人がウクライナでボランティアとして子供達の様子を見、お世話をしてきたが、一番の犠牲者が子供だったと聞かされた事が大きな誘因の一つになったのかも知れません。

新聞にこんな投稿記事がありました。

その方はお孫さんの運動会を見に行かれたのですが, 運動会場にはコロナ禍で保護者2人しか入れず、学校の垣根の隙間から生き生きと元気に競技している子供達を見られたそうです。ふと見ると道路の反対側に墓地があり墓標がズラリと並び、それには「沖縄戦昭和20年5月5日戦死者名」が個々刻まれてあったそうです。後3か月で終戦なのに、若い命を奪われたご両親、関係者の方々のお気持ちはどんなに悲しく、残念に思われたか‥。どうぞ今の子供達にはそんな経験をさせてほしくないと強くその方は思われたそうです。

私も傾聴させて貰っていて、戦争を経験されている方は、必ず熱く悲惨な戦争体験のお話をして下さいます。と同時に自分が今ここに生きている事、美味しいものが食べられる事の幸せを感謝しておられます

 今、イスラエル パレスチナも最悪の情勢にあります。日本も過去に悲惨な戦争をしています。この悲惨な過ちを繰り返さないために、心に留め、孫達に話しています。

 

   戦争は絶対してはいけない ②平和を大事に大切に守らなければいけない

③情報に誤魔化されない    ④何が真実か、何が嘘か賢明になれ 

 Peace for all

 

 

 

2023年11月

 

     辛い時期を貴重な時期に

                         Aさん

この3月、帯状疱疹に見舞われた。左臀部〜股下〜坐骨下〜大腿裏と、当初は痛みで座ることも横になることもままならなかった。が、痛みもさる事ながら、少し何かするとぐったりして立ってもいられない。気力も出ない、というのが一番辛かった。一瞬も逃れられないこれらのストレスからか、脈の不正・胸の圧迫感まで出現し、それは今でも続いている。

この間、沢山の医療機関のお世話になった。婦人科・皮膚科・かかりつけ医・ペインクリニック①②‥‥。「ああ、これはヘルペスです。このお薬飲んで下さい」(直後に発疹)「これ帯状疱疹ですね。この薬の量では足りないです。(1週間後)患部は乾いています。皮膚科の治療はこれで終わりです」(ええ〜?!)

「体弱ったね、点滴しましょう」(そして、内服薬・漢方薬・針治療など)

「痛いね〜、辛いね〜、ウイルスって難儀やね〜」(等々いつも声掛けして下さる。もう頑張れません‥‥と弱音を吐くと、)「そおお〜、よく頑張っているよ」と。(少しずつ改善するが、足踏み状態)(発症後4か月頃ペインクリニック①受診してみる。「点滴がよく効きます。週一回来て下さい」(話は余り聞かれず、Drのペースで進む。症状は少しずつ改善)(8月になって悪化、下肢に痺れも)

「ぶり返す事はないです。坐骨神経痛によるものでしょう。今、ブロック注射できますよ」(納得できず、他を検索する。お盆の頃にはまた崩れるようなしんどさと絶望感)ペインクリニック②「この時期ならまだまだ良くなりますよ。ブロック注射、パルス療法もできますし」(それをお願いし、著効)「良かったですね〜、嬉しいですね〜、遠いけど大丈夫?」‥‥。

 いろんな人からの声かけもあった。「免疫力が低下してるとなるらしいね」「〇〇さんも、〇〇さんもなっていて、もう1年以上経っているかな」「そればかり気にしないで楽しい事に目を向けた方がいいよ」「痛いのって辛いよね〜」「何かできる事ある?」「今はゆっくり養生してね、無理しないで」「そうか〜今どんな感じ?」「思いがけない災難に襲われる事ってあるよね、何とか頑張ろうね」「その後どう?うん、うん‥‥」「バスに乗れたら、近場でランチしよう」…

 対応は人様々。有難い事、ほっとする事、救われた感じになる事、反発や拒否したくなる事、しんどくなる事、心に響いて嬉しい事…

 現在まだ完治はしておらず、すぐに疲れるが、希望を持って治療を続けていきたい。

Aさんへの傾聴再開できる日を心待ちにしている。この間の貴重な経験を無駄にせず、ご苦労の多かった人生に想いを馳せつつ寄り添っていけたらと思う。

 

 

2023年10月

 

      私の母

                         Mさん

その日は、突然やって来た。

16年前の朝8時頃、義理の姉から電話があり、母が起きて来ないので見に行くと、布団の上で倒れた状態で冷たくなっていたとの事だった。死因は、心不全で母は86歳で亡くなった。母は生前から人に迷惑をかけずにポックリ死にたいと言っていた通り、苦しまず、寝込まず亡くなった。

 娘として何の世話もせず、親孝行出来なかったと悔やまれている。母の人生を見ながら、私は大いに影響を受けた。男尊女卑の教育を受けてきた母は、舅や姑に仕え、亭主関白の父に従い、朝早くから夜遅くまで働いていた。その姿を見て、私は、女性は職業を持ち、経済的に自立しないと、好きな事も言いたいことも言えないと思い、母の生き方を見下していた。

 父の「女に学問は要らない」の言葉に反発して、私は受験勉強に精を出していた。母は黙って学費を出してくれていた。

 母を反面教師として見ていたが、年を重ねる毎に母の言動に似てきている。

今は、母から受け継いできた手作りの赤飯やちらし寿司、巻き寿司、草餅などせっせと作って、娘や孫に食べさせてバトンを渡したいと思っている。

「お母さん、ありがとうございました。貴女を尊敬しています。」

 

 

2023年9月

 

         中学時代の同窓生

                       Tさん

1ヶ月前NHKテレビで南野陽子ファミリーヒストリーという番組を見た。

その番組の中でインタビューを受けている人物の顔を見た時、同窓のNだと

気づいた。

 Nは写真家として活躍している。そのNが私に初めて話しかけて来たことが

ある。十数年前の同窓会の席でのことで、突然に「僕を覚えていますか」と

言い、私の横に座った。「ええ」と思ったが私は中学時代一度も話した事

がなかった。私は2階の教室で彼は1階の教室だったこともあり、3年間一度

も同じクラスになったこともない。ただ一度だけ先生に叱られているところを

見たことがあった。その話をするとNは照れたように笑った。

Nは私にたんたんと自分の人生を話し始めた。中学を卒業後写真の専門学校に

行き撮り方について色々勉強したこと、写真を撮っても写真展や写真コンクール

等で賞を取ることも出来ず苦しんだこと、これ以上写真家として職業にしていく

のには辛いこともあると考え、後1年で写真を撮るのを諦めようと思ったが、

自分の好きなように開き直り、撮った写真で賞を取ることが出来たと嬉しそう

に話した。夢を追いかけて十数年が過ぎていたという。

Nの人生を聴き凄いなあと思った。私はその時、夢を追うことは素晴らしいと

気付かされた。そして、色々な仕事が入るようになったと話すNの顔は笑って

いた。Nの姿から人知れず努力したことなどを考えると、私の人生は‥‥。

現在、私はNの姿をテレビで見ることが出来た。南野陽子さんの話に笑顔で

答えていた。Nには十数年前の同窓会以来会っていないが、Nが活躍している

姿を見て嬉しくなった。Nが言うには南野さんはデビュー時にとても笑顔が

ステキだったそうで、普段の南野さんを撮ったと話していた。

笑顔いいなあ。私も今度Nに会ったらなぜ私にあの時話しかけてきたのか 聴いて見たいと思った。勿論笑顔で。今度は私の人生を話して聴いてもらおうかなあとも思っている。山あり谷ありの人生を!!

この詩は「ゲシュタルトの祈りの一部(ゲシュタルト心理学より)

  私は私の人生を生き  

あなたはあなたの人生を生きる

  私がこの世に生きているのは  

あなたの期待に応えるために生きているのではないし

あなたがこの世に生きているのは

私の期待に応えるために生きているのではない

私は私  

あなたはあなたです

 

 

2023年8月

          

                共感力

                                    Kさん

 

 新型コロナウイルス感染症が5類に位置付けられて、人と会う機会が増えました。先日同窓会開催の便りがあり、参加して来ました。コロナ禍では、なかなか会えなかった友達と懐かしく、楽しく、みんないっぱい話したいことが山ほどあり、話しっぱなしの時間となりました。いろんな悩みを話したい人、家族のことや楽しかったこと、悲しい出来事など、話の内容は様々で盛りだくさんで、あっという間に時間が過ぎて行きました。

 同窓会は、最後名残り惜しい気持ちでいっぱいでしたが、別れ際にまたね〜と言いながら挨拶をしてくれた友達が、「いっぱい話を聞いてくれてありがとう。聞き上手やし、なんでも話せて、気持ちがスッキリしたよ。また今度もゆっくり話を聞いてね。」と言ってくれました。

 自分もそうですが、人って、話を聞いてもらうだけで、気持ちが救われることがあります。話を聞いてもらって、その話に意見されたり、間違ってるとか正しいだの判断されたり、そんなことしてほしいわけでもなくただ聞いてほしい、という気持ちを大切にすることだと実感しました。

 傾聴ボランティア養成講座を受講して、「共感力」について勉強させていただきましたが、それがなかなか難しく、奥が深い。傾聴ボランティア活動というと

自分に出来るのか?共感の技術の本を読んでもわかったような、わからないような、自信もないし、相槌打つのが精一杯。そんな私ではありますが、少し傾聴について一歩を踏み出せた1日となりました。

 今、若者の間で使われる言葉に「それなー」という言葉があります。

「それなー」というのは、SNSや会話で相手の発言に対して「まさに」「そうそう」と相槌を打つ、「共感ワード」だそうです。

 

もしかすると大人たちに比べて若者は、相手の意見を受け止め、肯定しようとする姿勢が備わっているのかもしれません。若者には「それなー」とつぶやいて共感して良いのかもしれません。

 

 

 

 

2023年7月

 

コロナの憂鬱

                       Yさん

 

5月8日に感染症法上の位置付け変更で、急激な変化ではないものの以前の生活に戻りつつあります。

この3年間、僅かな緩和を繰り返しながら、人と距離をとり接しない、会話をしないなど究極の指示の中、生きていくのに大切なことを封じ込めながらの日々でした。【マスク】【アクリル板】【検温機】【消毒】と悩ましい毎日でした。

特にマスクは私を苦しめました。普段マスクをしない私は予備も少なく、たちまち勤務にも影響が出ます。無いものは作るしかなく、布屋さんでは昔の配給制を思い起こすような経験もしました。せっせと針を動かした手づくりマスクは、ものづくりの楽しみにつながりました。

それなりに、この窮屈さには乗り切れたと思います。マスクで【私】を隠すことも意外と心地よかったように思います。それは内面を隠したかったのか、ガードせずにはいられないほど弱っていたのかもしれません。

では心の窮屈さはどうだったのか。お茶を飲みながら言葉を交わし、時には手を合わせて、笑うことも出来ない。外出することを避けて、人との接触が無いと社会性も失います。筋力も落とします。人との関わりも容赦なくそぎ落とし、こころに蓄えられたであろう栄養を吸収できる機会も激減したのではないでしょうか

確たる私もその一人です。何をどう対話する、傾聴するかわからなくなります。誰か私の話を聴いてほしいと思っていたものです。傾聴先は訪問中止でしたが、この3年という時間は私にとって立ち止まれる時間でした。今までの無謀さで段々距離感がまして、傾聴への怖さもありましたが、また再開し学び直そうと思えるところにいます。

【聴く】と構えるのではなく、【あなたの隣で聴いてます】ではじめてみよう。

 

 

2023年6月

 

     日本に住む外国人について

                        Sさん

 

だいぶ過ごしやすい時期に入ってきました。
私は、傾聴ボランティアの他に外国人の方に日本語を教えるボランティアもしています。日本全国では、約300万の外国人の方がおられ、八幡市でも、約30人に1人は外国人の方だそうです。外国人の方と接していて感じるのは、皆さん真面目でまた、苦労された分とても優しい方が多いです。皆さん気遣いがすごいです。 
また、技能実習生等外国人が日本に住むには問題はいろいろありますが、日本に住んで良かったと思ってくださる方も多いようです。 
また、言葉が伝わらないことはたくさんありますが、傾聴ボランティアと同じでその分相手のことをよく観察することで、相手の言いたいことが少しは理解しやすくなることを改めて感じました。
日本人と同じように日本に住む外国人の方がもっともっと住みやすい日本になるように私ができることを行動していきたいと思っております。今後も宜しくお願い致します。 

 

  

2023年5月

 

          アースデイ(4月22日)に思う 

                             Kさん

 

 アースデイが提唱されたのは半世紀前の1970年で、大阪で日本万国博覧会が開催された年です。高度成長にあった日本では、大量生産・大量消費と引換えに環境破壊・公害問題が深刻化し 1967年公害対策基本法が成立し 1971年には環境庁が設立されました。

1972年のユネスコ総会で、「世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約」(世界遺産条約)の世界自然遺産は、地峡が作り出した美しい自然と造形・資源は産業や経済活動の為に簡単に破壊するのでなく人類共通の財産として保護し後世に伝えていくため合意されました。1997年には「京都議定書(2005年発効)が採択されるなど世界全体で地球温暖化に対する問題意識が広まり始めました。

 46億年前小さな惑星同士がぶつかりマグマの海の地球が誕生しました。6550万年前に霊長類が出現。2500万年前に最古の類人猿が出現。ほんの20万年前にホモサピエンスがアフリカに登場します。

 第一次産業革命は1819世紀に掛けてイギリスで始まり、現代人が生きる為に必要な大量エネルギーも石炭に始まり石油、更に原子力はクリーンエネルギーであると言う認識が広まり1970年から2010年に渡り54基の原子力発電所が建設されました。2010年に策定された「第三次エネルギー基本計画」において、「2030年に原子力発電比50%超を目指す」と記載されました。ただ2011年東日本大震災で福島第一原発の事故が発生し深刻な被害をもたらし、2041年「第四次エネルギー基本計画」では「原発依存度については、省エネルギー・再生可能エネルギーの導入や火力発電の高効率化などにより、可能な限り低減させる」と明記されています。

 私たちシニア世代は、科学技術の飛躍的な発展と開発のもと地球からの贈り物を無尽蔵に消費する技術を手にして全ての人間に公平ではありませんが豊かな生活を営むことが出来てきました。アースデイ「地球のことを考えて行動する1日」でなく毎日行動することが環境破壊を止めて元に戻す事が子供や孫の次世代への責務です。SDGS(持続可能な開発目標・誰一人取り残さない)2030年までに持続可能なシステムにしなければならない全人類共通の必達目標です。 

 

 

 

2023年4月

 

 歳をとるのは よい事も

                    Sさん

 

歳と共に体に不調が現れ“気持ちと体は別物”と自覚せねばならなくなりました。でも、歳を経たから分かる事があり、「歳をとるのも良いなあ」と思うこともあります。

「そろそろ自分史を‥」と思う矢先、学生時代のサークル同窓会の案内が届きました。会での皆の発言同様、私も“サークルに打ち込んだ情熱が人格形成に役立ち、後の人生を力付けた”ことを確認する事が出来ました。サークルという小さな場を通じてですが“自分世代の努力が後の世代に形を変えて繋がっている”事を知り「世代に伝える〜伝わる」ことの大切さを実感し、心強く思いました。

 この頃、ラフに話している自分に気付きます。新しい場で友達を得たり、バス停で知らない人とお喋りしたり‥不必要に気張らなくなったから?歳のせい? 傾聴に於いては、始めはオープンマインドでも、プロセスには親密な配慮や専門性が必要な事を学びました。指導者や諸先輩に一杯詰まっている経験や知識を学んでいきたいと願っています。

「今日が一番若い日! 嬉しい事が一日に少しでも有ったら儲けもの」をモットに! クライアントさんと共に孤独を越えて、意味のある一瞬を共有できることを目指して‥。

 

 

2023年3月

   

         音楽の効用   

                         Tさん

 

あなたはどんな音楽がお好きですか?ジャズ、クラシック、映画音楽、フォーク、童謡、流行歌、演歌、ポップスetc 。今回、ホスピスに音楽療法士として勤務されている方のお話を聴く機会がありました。音楽のはたらきを用いて、全人的な苦痛を和らげ、残された時間をその人らしく生きられるよう支援することがホスピスでの音楽療法士としての役割であるとのことでした。音楽は体と心に働きかける、心の奥深くに届くとの話、病気で隠れがちになる「本当の自分」「私らしさ」を取り戻すことができる。言葉にできない気持ちを表現する、過去や人生を振り返る、大切な人を失い、悲しみの中にあるご家族にとって患者さんと一緒に聴いたり、歌ったりした音楽は家族の悲しみを癒す一つの手だてになるかもしれないなど、実際に楽器を演奏しながらのお話でした。「ふるさと」「宗谷岬」「夏の思い出」「花」「翼をください」「川の流れのように」「思い出のアルバム」など「上を向いて歩こう」もリクエストが多いとか お話を伺いながらメロディーだけでなく歌詞も思い出とつながる大切なものだと感じました。

私は、日常でもどこからか音楽が聴こえると、知っている曲でなくとも、どこから流れてきているのか?何故?と探してしまいます。子どもの頃の思い出としては、縁側でバイオリンを弾いていた父親の姿が浮かんできます。また、フエスティバルホールに朝比奈隆さん指揮の大阪フィルハーモニー交響楽団の演奏を何度も聴きに行ったこと、ベルリンフィルを指揮されるヘルベルト・フォン・カラヤンの演奏を聴きに行き、来場者の着飾った姿に圧倒されたこと、ベートーヴェンの運命、英雄、等々の演奏に酔いしれたことなどが思い出されます。音楽・曲と一緒に子どもの頃の出来事、一人で生活を始めた頃の思い出など、走馬灯のように蘇ります。

だれでも思い出の曲があると思います。心地よい音色を聴くと心が落ち着く、音楽にはリラックス効果があることは経験的に知っていました。悲しい時、いやなことがあった時、苦しいことのあとなど、音楽とコーヒーで気持ちを落ち着かせていたこともありました。人のいるところには常に音楽があります。

音楽はいつの時代でも人の営みとともにあり、心を通わせてきました。音楽の力を意図的に利用して心身の回復を促してもきました。「音楽は言葉が使用できないとき、常に人々に。または人々のために語り掛けるのである」(E・セイヤー・ガストン 音楽療法の父と呼ばれている)という有名な言葉があります。

傾聴は手段、場所などを選ばずに行うことが出来ますが、音楽療法となると場所や道具・演奏できる人などが必要です。しかしながら、目的は同じなので、傾聴と音楽を組み合わせることが可能であれば、健康維持・心のケア、痛みや認知症の緩和・など心身のケアがより効果的にできるのではないかと考えさせられました。真摯に丁寧に自分と向き合い内省することがケア提供者には求められている。音楽や傾聴は万能ではないとの結びの言葉はこれからの活動に心して忘れてはならない言葉でした。

 

2023年2月

       

       傾聴からの贈り物・物語の力

                          Tさん

 

 傾聴ボランティア養成講座を受講して今年の1月で丁度10年になりました。昨年からの体調や自身の役割の変化により、35年間のボランティア活動の範囲を見直す必要に迫られていました。交通が不便な地域に暮らしていますので移動に負荷が多い傾聴活動を断念せざるを得ませんでした。

感謝の気持ちを込めて、10年間の傾聴活動をまとめてみました。

傾聴をさせていただいた方11名(実習先2人、長岡京市の施設3人、桂川6人)

傾聴させていただいた数延べ160回、会話記録の数136部(リモート傾聴8含む)でした。

読み直して気付いたことは、守秘義務を守られることが確認出来たら、自身の人生物語をポツポツと語られます。聴いたそのままをお返しする・・その繰り返しの中で、今まで自身で気付かれなかった自身の物語に出会われる。自身の人生を肯定的に物語って穏やかなよいお顔になっていかれるように感じました。傾聴者としてその瞬間を共にすることが出来る幸せを感じる事が出来ました。

幼い頃・姉妹とのこと・時には~極楽の余り風やな~など忘れられない言葉も聴かせていただきます。この世と、あの世がとても近くて、あの世の方達とも、生きていてそこにおられるように和やかに話される、そのような人生の先輩達の物語を聴かせて頂いたことは、私自身がこれからも一生懸命に生きて、聴いて、聴いてもらって、出会った人達とのそれぞれの物語を穏やかな良い顔で語れたら、これからの人生、何の心配もないのでは・・・と、思うことが出来たことです。

 

傾聴を始めて、安井さんはじめ、本当に多くの素敵な出会いがありました。

また、人生の先輩方達から生き方、死生観、生きていく知恵、それぞれの折り合いのつけ方傾聴以外では中々聴けることではありません。お聴きした方7人とのお別れがありました。今も時々思い出すことがあります。自身のこれからを考える指針にもなっています。有難いことです。

傾聴を学ぶことで一番変わったことはいろいろなものの見方が変わったこと、聴くことは他者を支えるだけでなく、自分自身を支える要因になる、そして他者に支えられる自分に気づかせて頂いたことです。

これからは、地域活動で、手話通訳活動で傾聴からの贈り物を生かした活動が出来たら・・・と、思っています。

長い間本当にありがとうございました。

皆様のご健勝と京都PANA-ALCの更なるご発展をお祈り申し上げます。

 

2023年1月

    

         ささやかなよろこび

                           Tさん

 

変わりない日々でも少し気をつけると見逃しそうな事があります。

過日小学一年生でいつも元気なのに声も姿も見当たりません。机の間の隅でひざを抱えています。何かあったようで先生に話をきいてほしいと何度頼んでもきいてもらえなかったそうです。いろんな方法を提案しましたが納得せず帰宅しました。学校に事情を伝え本人が傷つかないような対応をお願いしました。

その後元通りになった姿をみて安心しました。もう一つは通園時自転車付きリヤカーの中でいかにもさみしそうな顔、心が痛みました。声が届かないので手を振りました。それに気づいていかにも嬉しそうにいっぱいの笑顔で手を振り返してくれます。気持ちが通じたようで大変嬉しく思います。傾聴からはずれているかも知れませんが、小さなよろこびのこぼれ話です。(この原稿を出そうと思っていた日の朝その園児が歓声と共に手を振ってくれたのです。)」