今月の寄稿文

 

 

No156

 

 『傾聴ボランティアに出会えた事』 Iさん

 

  私は仕事、子育て、介護と忙しい日々を過ごしてきましたが、仕事を終えた後は今までとは全く違う生活が始まり、暫くは先の見えない状態が続きこれから進む道を模索していました。そんな時テレビから上条恒彦さんの歌が聞こえてきました。

 

生きているという事は誰かに借りを作る事

 

生きて行くという事はその借りを返してゆくこと

 

誰かに借りたら誰かに返そう

 

誰かにそうして貰ったように誰かにそうしてあげよう

 

 「人生の後半はお返しの人生だ、貰ったものは返しなさい」と歌うこの歌が私の心に響きました。

 今まで沢山の方に助けられてきたのに何もお返しをしていない事に気付いたからです。

 この歌で私の進む道が開けました。そんな時出会ったのが「傾聴ボランティア」でした。

 

活動は2007年6月から始めました。2008年から傾聴させて頂いているクライアントさんとは10年以上続いています。長い間、同じクライアントさんからお話を聴けた事で多くの事を学ばせて頂きました。最近このクライアントさんの傾聴で感じるのは私自身、からだ全体で聴かせて頂いていると思える事です。

  一方もう一人のクライアントさんは、母とよく似た感じのお話の好きな高齢な方です。同居していた母の昔話をゆっくり聴いてあげられなかった後悔が、今も胸にあり母と重なり忘れられない方です。人生の最終章で「傾聴ボランティア」に出会えた事に喜びを感じます。

 指導をして頂いた安井さんに感謝します。そして共に学ばせていただいているPANA-ALCの皆様に感謝します。

 

 

 

 No155

            『出会って10   Mさん

 

傾聴に出会って10年の歳月が経ちました。

 

入会して間も無く、会報誌の寄稿文を書かせていただきました。 その時は、入会理由や安井氏の講座を受けて自分自身が解放されたことなどを書いたように思います。

  

10年経ってどうなのよ!」という事です。

 

ほんの少し前までは、実際にクラアイアントさんと向き合ったらドキドキ、マゴマゴと雑念だらけで「あー今日も傾聴とは程遠い自分…」を責めながらの帰り道でした。そばに行くことが対人援助になっているという言葉にすがって通うしんどい日々でした。

 

しかし徐々にそのしんどさに耐えられない自分を持て余して開き直り、人が人のそばに行くのにそんなに頭でっかちでどうするのよ、自分はただそこにいる事が大事で発せられる言葉を聴く人で良いのでは… と思うようになりました。(初対面の人にはチューニングに緊張しますが)

  

会報誌No149のMさんの「祖母と傾聴」という寄稿文が印象深く共感します。

 

 

No.154                    

 

『一致という究極の傾聴について』 Kさん

 

                              

エックハルトールの「世界でいちばん古くて大切なスピリチュアルの教え」という本の中に、偶然次のような文章を見つけた。

 

人間関係に静止状態をもたらす、もう一つの方法は、心から、相手に耳を傾けることです。心から相手に耳を傾けるとき、静止の次元が現れ、それが関係の基盤になります。とはいえ、真に耳を傾けるのは、想像するよりも、はるかに高度なテクニックです。たいていの人は、意識の大半を考えることに費やしています。

 

会話中、相手の話を評価しているか、次に自分が何を言うのかを考えている、と言うのがせいぜいです。ときには思考に没頭するあまり、完全に上の空のこともあるでしょう。

 

真に聴く行為は、聴覚による知覚をはるかに超越しています。

 

そのとき意識は研ぎ澄まされ、言葉がインプットされる場所、「在るべきスペース」が表出してきます。そこでは言葉は二次的なものになります。言葉が意義深いこともたしかにあるかもしれませんが、まるで辻褄が合わないこともあるでしょう。話の内容よりもはるかに重要なのは、心から聴くという行為そのもの、そして、その時に現れる「在る意識」のスペースです。このスペースは観念的な思考による、分断のバリアなしに相手とのコンタクトを可能にする、統一の意識の場です。そこでは相手はもはや「他人」ではありません。そのスペースでは、あなたと相手は一つの意識になって溶け合っているのです。

 

諸富氏の「ほんものの傾聴」という本の中で、最高の傾聴として「一致」が挙げられている。そのうえ、傾聴の中でこれが一番大切なものとして紹介されている。最初にこの本を学んだとき、この意味がよくわからなかった記憶がある。しかし、この文章に触れると何となく輪郭が見えてきたように思う。私は実際のところ、反復の技術を自動的に活用して、聴いているようで聴いていなかったのかもしれない。心を空っぽにして聴くことは本当に難しい。感覚が研ぎ澄まされるところまでいかなければならない。

 

私はまた、まだ一度も心と心が融合するという経験はない、しかしこのことが行われれば、癒しにつながることは間違いないだろう。つまり、その人がその場にいるだけで、癒しがなされるのだろう。まだまだ真の共感を習得していない私ではあるが、登山家が何度もエベレストに挑戦するように、不可能でも一度は試みてみたい経験であることも確かだ。

 

 

 

 

NO.153     

                     人生いろいろ』   Mさん

 

 一人の人に一つの人生がある。同じ人生を歩む人は誰もいない。絶対に無い。同じ両親から生まれた兄弟姉妹でも、生まれた瞬間から環境が違う初めての赤ちゃんとして生まれた人と、何番目かの子供として生まれた人との対人関係は既に同じではない。

 たった一つの自分の人生は自分だけのものである。自分が成人するまでの環境に色々なプラス・マイナス要因があったとしても、「今」を生きている自分は、すべて自分が「生きてきた」人生。たった一つの愛すべき人生だと思っている。どんな状態の時でも、持てる力はもとより、持っていなかった力までも、ひねり出そうと努力して歩み続けてきたように思う。今のところ悔いは無い。あとどれだけ歩めるかは、誰にも分からない。分からないからこそこれからも、歩み続けられるのだろう。

 

 傾聴を学び実習を経て、傾聴ボランティア活動を始めた。まだまだ日が浅い今、3施設で3人のクライエントの傾聴活動をさせてもらっている。おひとり、おひとり、クライエントのナラティブ(人生物語)傾聴を通してSP(スピリチュアル ぺイン)の全容を「受容」しようと集中し、自分も同世代を生きてきた者として、とても良く理解できるところが多く「共感」の意(心を込めて深くうなずく)をもって、その気持ちにそっと寄り添いたいと思っている。それらの中で、傾聴している自分の心にも共鳴してくる「キーワード」ペイン(こころの痛み)を「伝え返し反復」している時、クライエントから多くの事に気づかせて貰っている自分を、再発見している昨今である。   

 

 私が、カウンセリングと出会ったのはもう50年も前の頃である。学齢期の子供は「学校へ行くのは当たり前、病気以外は休まない」のが常識だったにも関わらず「学校へ行けなくなっている児童、生徒、学生」の数が、増してきている社会現象に気が付いて、正直大変戸惑った。今まで経験したことの無い、目の前の子供たちの対応に「心理学」の野辺地教授(同志社大学)が主管される「京都カウンセリングアカデミー」という研究会が出来たことを知って勉強に行った。仕事を終え、夕食の支度をして、夜の講義を受けに行った。そこでロジャースの「来談者中心」による対人援助法の入口を覗かせて貰ったことが、今の傾聴Vo.に繋がっているとしたら、私の傾聴の原点かもしれない。

 

 更に子供の頃、心に残った「でんでんむしのかなしみ」という、新美南吉の童話が、そのまた向こうに見える「原風景」ではないかと感じている。

 

 

 
  NO.152  
        
           『 傾聴をはじめて 』   Nさん

「傾聴という言葉を知ってから、気にかかりながら十数年の時が過ぎていた。

三年前パルスプラザで行われた「ふれあいフェスティバル」で、傾聴コーナーが目に止まり、すぐに受講手続きをし、翌年一月末から受講したものの、座学からは縁遠い日々を過ごしていた為に悪戦苦闘?の六日間でした。

 午後の施設訪問では会話記録に気を取られ、会話の内容が頭に入らなかったりと悩むことばかりでした。実際に傾聴を始めると不安でしたが、記録も大切だが相手の方が話して下さることを受け止めるように心掛けようと思い、表情を伺いながら頷くことで、回を重ねる毎に気持ちに余裕が持てるようになり、会話記録もなんとか出来るようになると、訪問するのが楽しみとなりました。

 どの方々も楽しいはずの青春を“戦争”という悲惨な時代を過ごして来られたと思う。食糧難、物資の乏しい戦中・戦後を経験されているが、いつもの会話は明るく思い出を語られている。(その心の内には辛く悲しみも多々あったと思うと、口に出されないのが、かえって切なく感じる)

 人生の大先輩達からは教えられたり、元気をいただいている。訪問する毎にお元気な姿を拝見すると、いつまでも今の状態が続きますようにと思う。平均寿命も長くなり今後は独居の方、老夫婦の世帯となり傾聴はますます必要になってくると思われる。少しでも長く「傾聴」に携わって行きたい。その為には自分自身が心身共に健全でありたい。健康寿命を一日でも延ばす努力をしなければと、日々感じている。

 

 NO.151

                             『 お名前を覚えよう     Yさん

 

この春から生きがい作り高齢者利用施設に勤務している。

一日の利用者さんが130人程度。

毎日利用する人から、月に一度、数ヶ月に一度利用する人など様々である。

声掛けの出来る場合もあれば、どうしても接点を作れないままの利用者さんもある。

何か利用者さんとの交流を持つため、良い切り口はないかと考えた。

そこで利用者さんの名前を2ヶ月で覚えきろうと目標を立てた。

「○○さん、おはようございます」

「○○さん、さようなら」

必ず名前を呼んでお声かけをする。

「ここで名前を呼んでもらえるとはな」と照れ笑いの男性

「覚えてくれたはる、うれしいわ」と喜んでくれる女性

名前を呼ぶことが、こんなに人の表情を豊かにするとは今まで思っても見なかった。

利用者さんとの関係性も出来、親近感も増した。

たったこれだけのことで、名前を呼ぶことの不思議な力を感じた。

『人を知る』『利用者さんの心の扉を少し開く』その時、私は一瞬の安堵を覚える。

新しい仕事に就いた私にとっては、ひとつの試みに過ぎなかったが。

これほどに利用者さんの反応が好意的で、大きな輪になっていったことに驚いている。

番号で呼ばれることが常になりつつある現在。

私はあえてお名前を呼ぶことにしている。

 

 

 

 

 NO.150                    

                  『傾聴についての雑感』        Nさん

 

 傾聴といえば福祉施設(老人ホーム)などに出向いて高齢者(認知症の人を含む)などを訪問し、その人の話を聴かせてもらうことで相手の心を癒す活動をいいます。この活動をする人を傾聴ボランティアといい、このボランティア活動のことしか頭にはありませんでした。このことについて少し説明させていただきます。ボランティア活動をするためには毎年6日間の日程で開催される傾聴ボランティア養成講座(午前は講義を中心に学習し、午後は老人ホームで傾聴の実習)を受講し、終了する必要があります。まあ日常の生活においては傾聴を(傾聴という聴き方があることを)意識することはほとんどありませんでした。

ボランティア活動においての傾聴、日常の生活においての傾聴には共通点があると思います。ボランティア活動を通し新しいきづきにつながっていることを最近考えるようになりました。今後は傾聴をもっともっと意識して日常に取り入れることにより、職場や家族(親子、夫婦など)との人間関係、職場での仕事において日々の会話にも変化をもたらし、人とのつながりが増え深まっていくことにあります。

 ここで、共働きしていた当事の仕事の上での傾聴にかかわる夫婦の葛藤を少し書かせていただきます。

妻「今日、仕事で腹立たしいことがあり、嫌になったわ ・・・・」 そんな時、私、邪険に、「仕事やから仕方がないやろう・・・・」と返す。(後で後悔するのがつね)日常はこういう会話の連続。こんなとき「いやなことがあったんやなあ・・・・」と受け止め(てもらえる)と妻(話し手)の感情は落ち着きます。又ときにはもういいわと怒ることもあった・・・・・きまずい沈黙が少しの間流れる・・・・・ただ自分は仕事の愚痴を聴いてほしかっただけなのに・・・・・・。一言いいたい気持ちを抑え、自分が話すことを優先させず、相手の話を受けとめる。この姿勢が相手の気持ちに寄り添うことになるのではと思います。

 

NO.149

                        『祖母と傾聴』  Mさん

 

38年ほど前に88歳で亡くなった祖母のことである。明治生まれの祖母はとにかく口うるさい人であった。今で言うところの「うざい人」である。朝から晩まで、母の出番はないくらい、ことごとく口出ししてきた。そんな中でも子供だった私は二つ違いの弟と、祖母に小さな悪戯をして遊んだりした。

祖母の一日は朝の仕事がひと通り片付くと決まって出かけ、お昼の時報が鳴る頃に帰ってくる。昼ごはんが済んで一段落するとまた出かけて、夕方4時頃には帰ってきて洗濯物の取り入れなどしながら、母が帰ってくるまであれこれと私達に指図する。出かけるのは家の用事がある時や雨でも降らない限り、ほぼ毎日のことであった。その頃はたいていの家におばあさんがいて、祖母はそれらのおばあさん家のどこかに行っていたのである。ある時は近所のおばあさんが自ら誘いに来たりした。そのうちに、歩けなくなったり、寝たり起きたりするようになったおばあさんの家族が誘いにくるようになった。いつだったか、学校から帰ったら珍しく近所のおばあさんが遊びに来ていた。弾む話しがあるわけでなく、火鉢を囲んでただじっとしていた。子供心に不思議だった。ある時、叔母が言った。「あんなして毎日のように出かけるけど、決して家のことや悪口を言ったりはしてないよ。」と。

まあ確かに、家では口うるさくガミガミ言っていた祖母ではあったが、決しておしゃべり(話し好き)であったとも思えない。外ではとくに大人しかったように思う。祖母が一方的にペラペラしゃべっていたとも思えない。

今から思えば、祖母は近所のおばあさんの話相手(聴き相手?)になっていたのではなかろうか。「うん、うん。」「そがん、そがん(そう、そう。)。」「ほんなごてのう(本当にねぇ)。」・・・床に伏した余命いくばくのおばあさんの枕元で、坐して小さく丸くなった祖母が、ただ、じっと相手の話し出すのを待っている・・・。そこに流れる時間を共有することこそが、あの頃は殆ど言われることのなかった傾聴そのものではなかったろうかと、思うこのごろである。

 

 

 

No.145 
  『安井代表PANA-ALC代表ご勇退おめでとうございます』
 
                   「四傾聴」猪岡紀久子
 
 2005年「京都傾聴塾」(代表:村田久行氏)で村田氏著の「ケアの思想と対人援助」の教本で指導者安井氏の講座を四日市市から4人受講。修了後に四日市市で傾聴ボランティアグループ「四傾聴」を立ち上げ、傾聴活動を開始。
 
 その後、安井さんが「京都傾聴塾」を脱会し、PANA-ALCを立ち上げ代表となられることになり「四傾聴」も同じ方向を向くべく加入。それから安井代表初め皆さんのご指導、
 
見守りの中、13年を経過しました。昨年ははじめて養成講座の受講生が集まらず、これはもう限界かなと・・・・でも、もう1回頑張るとよい結果が待っていると信じて、揺らぐ気持ちを切り替え今年も開校を予定しています。
 
 今回のPANA-ALCの機構改革の機会に、「四傾聴」の仲間を見渡すと、沢山の才知ある方々の存在に改めて気付き、この先の光が見えてきたように思います。
 「心の扉は口である」「心の窓は耳である」言葉は心の使いです。氷山は水面下の方が大きい。なので、水面上だけを見て相手を理解することはできない。水面下の部分を知ろうとすることが重要です。それが傾聴です。私自身も更に傾聴力を高めるべく努力をし、そして一日でも長くこの意義のある傾聴活動を継続して「四傾聴」の発展に尽くしていきたい、クライアントさんの笑顔に出会い、ありがとうといってもらえるように・・・
 
 養成講座での指導や様々な所での講演活動は「四傾聴」の代表としての仕事と捉えていましたが準備として資料作りに関係本を読んだり、知識人の講演会に参加したり、メディアからの知識を得たりと、それは実は自分自身の人間形成のためだったと改めて気付きました。「四傾聴」に存在させていただいている御蔭です。感謝!
 
安井様、有難う!お疲れ様でした。これからもお体をお大切にになさって、今後のますますのご活躍をご祈念いたします。

  

No.144 

        『私と傾聴』  Aさん

 

 駅を出て傾聴先に向かって疎水べりを歩く、「今日のクライアントはどんな方だろう、さあ」と気持ちを傾聴モードに切り替える。

 

「傾聴ボランティア」という言葉は新聞で、知った。その後、講演、研修会などで「傾聴」という言葉を耳にすることが多くなった。仕事の時は「話を聴くこと」に努めてきたつもりだった。仕事を辞め、さて何かと考えた時、研修で「ユニフォームでなく私服で話を聴くことです」と言われたことを思いだし、研修を受け、しばらくして始めた。

やってみると、情報収集しないで話を聴くことの不安、なぜその言葉を言われたのかと気にかかり質問したくなる、仕事の時は気付かなかった本音の言葉、重いひと言に驚き、気付いたことも多い。

少し経過した今、会話は生きている、構えないで流れに任せ、とことん聴く姿勢で寄り添いたいと思う。残された日々が少ない方との一期一会、この出会いを大切に。その方の人生の中から発せられたひと言の重みを実感する。

 

 帰り道、疎水べりを歩き花を眺めながら、今日のあの言葉は・・・と思いながら、今日も学ばせてもらったと・・・傾聴モードを元に戻す。

 

 

 

  No.143  

         『傾聴に縁して』  Tさん

 

長男、次男の結婚を機に58歳で離婚。一人暮らしを続け、65歳の年の初めに傾聴ボランティア養成講座を受講して傾聴活動を開始した。その後4年間で生活が劇的に変わった。傾聴活動を始めて、3か月後に知り合った彼女と2年後に結婚した。

嫁と91歳の義母、猫2匹の家族ができた。嫁の娘家族が住んでいる四条烏丸近くに転居し楽しく交流している。ボランティア活動にとても便利だ。

 

活動以前の私は、他者の話をあまり聴かずとても頑固で思い遣りがなかったのが離婚の原因だったと思う。傾聴を始めてから少しずつ他者の話を聴けるようになってきたことが現在の幸運を引き寄せたと思う。

パナアルク、スカイ傾聴ボランティアサークルの二つの会で傾聴させて頂いている。クライエントさんはホームの3人と、この2月から開始した在宅での男性とで4名です。独立型ホスピスへは、患者さんを癒すセラピー犬活動の補助、音楽療法のためのコンサート補助等、月4~5回通っている。また、劇団サークルでホームへの慰問公演にとても楽しく参加している。仕事も24時間勤務が月10日もありとても忙しいが充実している。この4年間の第三の人生が楽しくスタートできたのは、傾聴の学習・実践と安井ご夫妻のおかげです。ありがとうございます。

 

 

 

 

   No.142 

         「瞑想によるスピリチュアルケア」   安井潔

 

 新年あけましておめでとうございます。

傾聴ボランティア活動19年、社会福祉関係の皆さまには多大なるご支援ご尽力を賜り厚く御礼申し上げます。

 早速ではございますが、本日は瞑想(マインドフルネス)によるスピリチュアルケアにつきまして昨年7月中旬神戸六甲協会にて行われました飛騨千光寺住職、大下大圓様講演会と8/23、ABCTVを見て感じました中での、テロメア(細胞)の放送があり、その内容につきまして、お話申し上げます。仏教の禅宗を中心とした瞑想は戦前よりアメリカに渡った仏教徒によって少しずつ広められていましたが、広くは普及しませんでした。20年前よりアメリカのカリフォルニア大学ブラック・バーン博士(ノーベル賞)とエルベ教授が人間のストレスの研究をされていました。人間の細胞の中にあるテロメア(人間の細胞60兆個、靴紐の両端形状に似たもの、46個ある。人間の老化はこのテロメアがストレスによって削られて短くなってゆく。)が人間社会のストレスを軽くする方法としてアメリカの大学の心理学教室で瞑想(マインドフルネス)が取り入れられ、日本に逆輸入されてマインドフルネスと呼ばれるようになりました。

瞑想の作法は静かな部屋で行います。

1、    静かに座る。両手は両膝の上に上向きに置くか、またはへその下で両手の輪を作る。

2、   目を閉じ吐く息に気を集中させる。

3、   唱えるのは、お経でも、お母さんでもありがとうでもよい。

4、   瞑想時間は3分、5分、10分と30分、自分のできる範囲で始めていく。

5、   終わりという合図で静かに口を開け、心を日常に戻す。

6、   瞑想は一日数回行う。

傾聴ボランティアはご利用者の話を反復し、問いかけて話を深めてゆきます。ご利用者の様々な人生物語を何度も何度も聴かせて頂きます。気づきが生まれます。自分自身の変容と変革が起こります。ものの見方が変わってゆきます。瞑想も自分自身の気づきを促す方法の一つです。

No.141 
      『話を聞いて欲しい』   Aさん
 今年の厳しい暑さの夏に、兄の看病を手伝ったが望みむなしく他界した。悲しい気持ちがわかず、ただ寂しい気持ちがいっぱいで、何か足が地に着いていないような、心細く感じた。そんなある日、自転車にのっていて前からきた自転車を避けようとしてブレーキをかけたが、転倒して左胸を打撲。肋骨にひびが入った。立ち上がり、前屈、少し重いものを持つだけで痛く、「痛い、痛い」という日々が続いた。外出もままならず、ぼんやりと日を過ごし、気分は落ち込むばかりだった。 
 以前からストレスを感じると、友達を誘ってランチを一緒にしたりしたが、遠出も出来ずに友達に電話して愚痴を聞いてもらった。このような経験から、行動範囲が狭くなり外出の機会が少なくなってくる高齢者にとって、話を聞いてくれる人がいるととても嬉しい。また高齢者だけでなく、若い人も「話を聞いてほしい」と思っている。

 

今回神奈川県座間市のおぞましい事件の被害者が「話を聴いて欲しい」と言っていたそうだ。「話を聞いて欲しい」ということは、自分の気持ちを伝えて自分のことをわかって欲しい。だれか自分に感心を持ってほしいと、心の奥からの悲痛な叫びだった。卑劣な犯人だけがこの叫び声を取り上げた。

 

 最近私は、傾聴が難しく、これでいいのかと悩み傾聴から遠ざかりたいと思っていたが、もう一度原点に帰り、相手の話をただ聴く、聴いてくれる人がいるというだけでいいのだと思うようになった。

 

 未熟な私だが傾聴の世界に留まっていようと思った。

 
 
 No.140 
       『私にとっての傾聴』   Sさん
 何かを始めるとき、あるいは興味を覚えるときは、複数回のきっかけが重なることがあります。私にとっての傾聴がまさしくそれでした。毎週2回、1回につき2~3時間、在宅での話し相手のボランティアを頼まれ、これなら私でもできるかと引き受けましたが、間もなく大変な仕事?であることに気付きました。ボランティア先はリュウマチを患う90歳の女性で、認知症状は全くなく、その分話は弾むのですが、何のレクチャーも受けず聴く技術もない素人の私には、彼女との感覚のずれ、価値観の違い等で、時には否定的な意見を言う事がままありました。毎回帰り道、解放感よりももう少し他の言いようがあったのではと、反省や嫌悪感に襲われたものでした、彼女が歩行のリハビリをするという理由で、このボランティアは1年で終了しましたが、続けることに私はもちろん、おそらく彼女も苦痛に思っていたことでしょう。
 この「話し相手ボランティア」での自分自身の対応と、所要時間に疑問を感じていた矢先、傾聴ボランティアが認知症の方の話を辛抱強く聴いていると姉から聞き、傾聴ボランティアなるものの存在を知りました。同じ時期に、PANA・ALCの第35期養成講座を知り、かくも大変?なことも知らず受講したのです。
 三年めの今日、初歩的な段階は理解できたかなと思うものの、施設もいろいろあり、クライアント様もさまざまで悪戦苦闘しているのが現状です。あくまでもボランティアであることを理由に現在も続けられています。
 「あなた」が発した言葉を「わたし」という「鏡」を通して自身(自他共)の気づきななれるよう「傾聴力」を高め、家族、友人、知人等との会話でも、常に「傾聴」する思いを力に実行しようと考えています。何よりも、当会の皆さまとの交流が、今ある私の貴重な財産となっています。
 

 No.138 

        『おしゃべりなおばさんの卒業』    Tさん

 

 私は日頃、人とお話する機会が多くあります。話の受け答えが通り一遍では、話す人の気持ちを深くききとれない。どうすればいいのか?と悩みました。傾聴の学習がしたい…。新聞で知った傾聴ボランティア養成講座に参加しました。そしてきめ細かく理論を学びました。

 

「聞くのではない、聴くのだ」と。❝聞く❞とは門の中の耳。門の中を素通りするのです。❝聴く❞とは耳に十四の心と書きます。十四という程たくさんの相手の心を自分の耳で受け止める、と学びました。傾聴は耳で心をきくのです。

 どちらかと言えば、お話おばさんの私でした。❝”聞く❞と❝聴く❞の違い。多くの納得をしました。顔には口が一つで、耳が二つあります。二つの耳でしっかり相手の心を聴きとる。一つの口であいづちを打つ。相手の気持ちに寄り添える傾聴を心掛けたいです。

 やっとおしゃべりおばさんを卒業します。

 

 

 

No.137 

        『傾聴』      Nさん

 

「傾聴?何するの?」私の「傾聴」との初めての出会いでした。「勉強してみない?」と誘われ始めましが、これが私の後半の人生にこのような全く想像していなかった世界に足を踏み入れた一歩でした。

 

 「傾聴」―辞書を引くと字のごとく耳を傾けて熱心に聴くことでした。でも傾聴ボランティアになるとその上に注意深く、丁寧に思いやり、共感し素直に聴くことだと思います。とかく口を出したくなるのですがじっと耳を傾ける。最も大切なことは自分の意見は前に出さないという事です。

 

 傾聴を通して人生は人によってそれぞれとらえ方が違うし、こうあらねばならないいう事はないし、何でも決めつけてはいけないということ。この多様性が長所であり、力強い人生を送れる秘訣だと。

 

 今こうやって振り返ってみて、何かのご縁で傾聴と出会い傾聴を通してのお友達も出来、色々な方々と出会い、学ばせてもらっている事が分かります。先輩たちがいつも口にしてらっしゃる「クライアントさんから色々本当に教えて貰っている」と。本当その通りだと思います。

 

 お友達は「ええーっ、まだ傾聴ボランティア続いてるの?」って驚いてくれていますが「そうなの、待ってくださっているのよ。お話したくて。歓迎してくださるのよ。」

 

そうなんです。待って下さる方いらっしゃる限り傾聴したいですね!

 「そう、これから傾聴行く時間なの。ゴメンね!行ってきまぁーす。」

 

 

 

136

    『生きる力―折り合いをつける』  Tさん

 

  傾聴活動を始めて早や5年目、今は10人・ 11人目の方に聴かせていただいています。

 

 お一人お一人のことを思う時、孤独と寂しさ、思うようにならない苦しみ等に各々が、それぞれの方法で自身で折り合いをつけた後のAさんは、表情も優しくなり、すき焼きの話をされた頃から手を付けなかった食事も取られる様になり、頬もふっくらと、笑い声も出てきました。Aさんの自分自身で折り合いをつけて生きる力に、私はとても感激しました。

 

 私自身も、帰り仕度をすると何か言いたそうな母を置いて帰った心残りや、末期のがんで入院中の父が窓の外を眺めている時、何も言ってやれずにただ横に立ち同じ景色を眺めるだけしか出来なかった自分を責める時もありましたが、お話を聴かせていただくようになってから、これで良かったのかも ・ ・ 

 

父も、母もそれぞれに、折り合いをつけていたのでは ・ ・ ・ と、思うことが出来るようになりました。多くのAさん、Cさんから私自身が折り合いをつけて、前を向いて生きる力を頂いた気がします。感謝 ・感謝です。

 

 

 

No.135

      『支えられて』     四日市    Wさん 

              

 退職後、こんな穏やかな生活もあったのかと喜んでいたのもつかの間、次第に虚しさを感じるようになってきました。

 

私の居場所って自宅だけ?と考えた時、あまりにも寂しい。

 

沢山の人に支えられ、無事、仕事も子育ても終えることができたのに・・・私は恩返しが出来ていない。  自分のできることをして、ほんの少しでも恩返しがしたい、社会にも

 

繋がっていたい・・・。

 

「生来、いつ死んでも悔いを残さないように好きなことはやってみる。失敗してもしないよりまし。」という考えでしたので、広報で傾聴の養成講座を見つけ、すぐに申し込み、代表の人柄に憧れ「四傾聴」に入会することができ、4年経とうとしています。続けられたのも、先輩方や同期の仲間に助けられてのことです。いつも誰かに助けられて、支えられて、生きている・・そう思っています。

 

 いつか誰かの力になって、支えることができたら・・そう思いながら、笑顔を絶やさず、前を向いて歩くことを心がけています。

 

 傾聴活動は、話し手の方のお話しをそのまま受け止めながら、尊敬し愛おしみ、全身で聴くことに徹するよう努力しています。話し手の方からお話をしてもらえた時に嬉しく、

 

「ありがとう」と言ってもらえた時に喜びを感じます。私の居場所が一つ見つかったことに感謝。

 

 

 

№134 

        『その時々に』     四日市 Nさん

 

 かれこれ、ふた昔位前にもなるでしょうか?友人と会えば「あの・・・」、「あれが・・・」で不思議?と会話が成り立ちます。身体のどこそこが悪い、痛いの話が自慢げ?に盛り上がります。医者にかかれば「加齢による・・・です。」で片づけられてしまいます・

 

 この様な状況の時の、魔法の言葉と、ある本の中に見つけました。「ますます『老人力』がついてきた。」という言葉です。そして友人や自身をも励まし?奮い立たせて来ました。その時大いに活躍した言葉でありました。そんな時もありました。(赤瀬川源平著「老人力」より)

 

そして数年前、縁あって、四傾聴のお仲間に加えていただき、「傾聴力」の本と出会いますが、傾聴とは何ぞや、の軽いノリが出発の不まじめな私には実に奥深く、重い本でした。

 

そして今、何とか、ただひたすら聴いている、寄り添っている・・・つもりですが、まだまだ「傾聴もどき」が実情です、傾聴はなかなか難しく、本当に奥深くて、毎回、悪戦苦闘しています。

 

しかしながら、傾聴から得るものも多いと実感して来ています。自分のこれからの生き方を見つめ、自己研鑽しているところがあります。知らず知らずに勉強の場になって来ています。

 

これからさらに齢を重ね、いよいよ「老人力」も全開になり、自身の身体の変化、まわりの環境も変化していくことでありましょう。どんな傾聴になっていくのでしょうか。瓦アズ、その時に合わせて真摯な気持ちで寄り添っていこうと思います。

 

傾聴は一生かけての長い道のりであると思っております。いつか、「近頃ますます『四傾聴力』がついて来た」と思えるよおうに・・・。ちょっと楽しみでもあります。

 

 

 

 

№133

『‟時間の使い方は命の使い方”‟置かれた場所で咲きなさい”』

  渡辺和子(89歳没)    四日市 猪岡紀久子

  

 在宅傾聴。Aさん88歳女性。デイサービス2回/週。夫死別。子供3人。日常生活動作自立。物忘れあり。独居。一軒家のベッドが置かれた6畳ぐらいの居間で、数軒先に住んでいる娘の家事援助で何不自由なく暮らしている。運んできてくれた食事を独りで食べる(弧食)。子供たち、特に娘家族(商売をしている)との関係は良好と思われるが、Aさんは家族の中に入れない孤立感をすぐ忘れるので何もできない(劣等感)、何もしたくないという無気力感。役に立てない自分(自信喪失)は何をしても無駄と(無価値)訴えられる。心の居場所がない(家族の中での無存在感)。何もしてやることがない。生きる希望、目的がない「朝、目覚めなければいいのに」と考える毎日に生きる意味が見いだせない(無意味)等、語られる。

 

 核家族の今の時代、この事例は誰にでも起こり得ることと考えられる。高齢になって出来ないことが増えてきた時、同じ境遇に置かれるかもしれない自分の将来の姿と重ね合わせること、Aさんの心情に共感(響感)するものが大きい。このような時“話を聴くことしかできない”“何もしてあげられない”自分に、心が重なることがありますが、そうしたことしか出来ないのだと、むしろわきまえることが大事で、また、聴く行為は周りにいる人の誰にでもできることではない、傾聴ボランティアだから出来ることで、話し手の心の中の抑圧されていた、きがかりを外部に表出ししてもらうことのよって消散させることができる情緒的サポートに徹するという思いで、真摯に向き合えば聴くことで生きていく力が与えられるということに気がつきます。

 

 “生の終わりに残るものは、自分が集めたものでなく、自分が与えたもの”と言われます。Aさんには商売をしていたときの近隣とのお付き合いが残っている。きょういく(今日いく)・きょうよう(今日用)有る?と言葉をかけて頂けるよう近隣に目を向け、家族とも“甘えても良いと思える関係を問い直す”よう援助し、貴方は周りの人たちにとって大切な存在であると伝えながら、残された時間を、置かれた環境で小さな花(幸せ)を咲かせてもらえるよう、心に寄り添い見守り続けたいと思います。

 

 

 

  №132 

       『聴くことの大切さ』      Tさん

 

 先日なにげなく本棚を見ていると一冊の本が目についた。「モモ」という題名。子供が小さいとき読んでいた本である。裏返すと小学5,6年以上とある。

 あらすじは、イタリアローマを思わせる街に現われた「時間貯蓄銀行」と称する灰色の男たちによって、人々から時間が盗まれてしまい、みんなに心から余裕がきえてしまう。しかし、貧しくとも友人の話に耳を傾け、その人に自信を取り戻させてくれる不思議な力を持つ少女「モモ」が冒険の奪われた時間を取り戻すというもの。

 例えば、こう考えている人がいます。おれの人生は失敗でなんの意味もない。おれは何千万もの人間のケチな一人で死んだところで、壊れた壺と同じだ。別の壺がすぐにおれの場所をふさぐだけさ。生きていようと死んでしまおうとどうって違いはありゃしない。この人がモモのところに出かけて行って、その考えを打ち明けたとします。すると、しゃべっているうちに不思議なことに自分が間違っていたことが、わかってくるのです。いや、おれはおれなん。世界中の人間の中で、おれと言う人間はひとりしかいない、だからおれはおれなりに、この世の中でたいせつな者なんだ。(岩波少年文庫P24)

 「小さなモモにできたこと、それはほかでもありません。相手の話をきくことでした。」

 

 この物語の主人公「モモ」は相手を癒そうとか、何とかしてやろうなんてことは、これっぽっちも思っていない小さな女の子にすぎないのです。「モモ」はただ座って注意深く聴いているだけです。その大きな黒い眼は相手をじっとみつめています。すると相手には、自分のどこにそんなものがひそんでいたかと驚くような考えが、うかびあがってくるのです。「モモ」に話を聴いてもらっていると、どうしてよいかわからずに思い迷っていた人は、急に自分の意思がはっきりしてきます。引っこみ思案の人には急に目の前勇気出てきます。不幸な人、悩みのある人には希望と明るさがわいてきます。こんな風に聴いてもらえたら、だれもが「モモ」に聴いてもらいたいと思うのではないでしょうか?

 話を聴くことはなんでもないことのようですが、とても大切な、そしてむつかしいことです。

 だからこそ本当に聴いてもらえることは、とても大切なことと思います。じっくりと耳を傾け、聴いてもらう中で少しづつ心の扉を開く勇気を得、静かに聴いてくれる人がいることで安らぎを感じます。ただそっとそばにいてじっくりと聴いてもらえるということは、ありがたさえ感じられます。

 

 この本を読み返し、ただ物語の筋を追うだけで素通りしていた自分に気づき、傾聴と言うことをあらためて考える機会になった。難しい本もたくさんあるが、たまにはホットするような本でもよいのではーーーと思った。

 

 ご存知の方もあると思いますが、興味のある方はぜひ読んでみて下さい。

 本の題名 「モモ」ミヒャエル・コンデ著  大島かおり翻訳  岩波少年文庫(127)

 (1973年刊  1974年ドイツ児童文学賞を受賞)

 

 

 

  №131 

         『聴く」という事』     Sさん                  

  一昨年、母の三回忌を終えた。一つの区切りとして何か・・・と思い、少し早いけれど

お墓の整理をすることにし、ついでに私たち夫婦も供養塔に入れるようにした。

 両親をお願いしてある石峰寺は若冲で最近有名になった寺。竹藪の中に五百羅漢の立つ

小さなひっそりとしたお寺だ。春に石段を上がっていくと遅咲きの八重桜がぽってりと竜

宮門を飾っており、振り返ると京都市内が一望できる高台にある。

 住職に相談すると「戒名に好きな一字を入れてあげましょう」とのこと。何しろ初めて

のことで勝手がわからない。さて、何の字を入れてもらおうか思案したが、後日、「聴」

の字に決めた旨を伝えた。長い間、福祉の仕事に関わり沢山の人と接してきたが、退職後

に「傾聴」と出会い、私はずっと聞いていただけだったことに気づいたからだ。

住職によると「聴」の字には「聴く」という意味の他に 「良く聴いて許す」 という意味

があると教えられた。「許す」は私に一番欠けていることだと常々思っていたので、なんだ

か不思議な縁を感じながらその話を聴いた。

 昨年、日経新聞に宮部みゆきの「迷いの旅籠」が連載された。

 終盤で主人公が今際の際の老婆の話を聴く場面がある。

 人は語る。語り得る。良いことも悪いことも。楽しいことも辛いことも。正しいことも

過ちも。語って聞きとられた事柄は一人一人のはかない命を超えて残っていく

という文章があり、心に深く残った。

 私達が傾聴する事の根っこのように感じた。人は様々な思いを語って、私たちに聴かせて

くれて旅立っていくのだなあと思った。なかなか充分な傾聴が出来ないのは百も承知だが、

それでもいつか誰かが残していく想いを聴き、そのことを今に残していく事ができれば・・

と思う。

 そして私も逝く前には誰かに話を聴いてもらいたい。そんな人に出会いたいと思うので、

それまでの間は、今は「聴く」事に精進したい。  

 

     

               

 

 №130 画家若冲天才絵師の謎に迫る        安井 潔

 

 新年あけましておめでとうございます。多くの社会福祉関係者の皆様には、傾聴ボランティア活動に対しまして、18年間にわたり、一方ならぬご支援ご指導賜りまして心から厚く御礼申しあげます。ありがとうございます。

さる12/1NHK京都の1階にて画家若冲天才絵師の8K極精細TVを拝見しまして感動いたしました。若冲は人間の目に識別できない色を出す技術を持ち、色彩追及のすごさにあります。色は一色に見えるのに実は四色の色を塗り重ねられていることだったのです。紅葉の葉570

一枚一枚人間の観た紅葉の葉に近づけてゆく技術のすごさ。表から4層塗り、裏からも色を重ねて塗り、葉っぱにあたる光と影を色の重ね塗りで使い分けてゆく技術。圧倒されました。

若冲はバリのマネより100年も早く日本で光の濃淡を色の四層の重ね塗りで表していました。

傾聴もご利用者のその日の顔は千差万別。怒っているとき、どなっているとき、ほっておかれて寂しい思いの時、話し相手のいないとき、だれも訪ねてきてくれないとき、出来ていたことが出来なくなってゆく悲しみの時、そんな時に傾聴ボランティアは定期的にお伺いします。認知症も80歳を過ぎてきますと、急速に進み、お伺いすることさえ忘れています。ご利用者のその日の表情から、たちは一瞬で今日のご利用者の感情を見抜き傾聴します。耳で聴き、目で聴き、感情で聴き、肌で聴き視力障がい者の傾聴は肌を触って聴くこともあります   )私の五感すべてを使って聴きます。私は65歳で大学院の門をたたき、65歳からパソコンを初めて習いました。ご利用者様との会話はナラティヴアプローチ その人の人生物語を聴く )傾聴となり京都の80年前の世界を田舎者の私に教えてくれました。京都室町の、織り機の動く音、捺染ロールの染色の世界、ヤミ米の買い出しで福井からの夜行列車が東山のトンネルの前で警察の検問があり窓から列車の外へヤミ米を投げ捨てた話、今のヨドバシカメラの前、近鉄百貨店、その前、丸物百貨店、戦前に、逓信局の施設が4階にあったこと。四条高島屋の東隣に三越がありその縫製工場が衣棚にあり自動ミシンで結婚衣装を縫っていたこと。高齢者のナラティヴアプローチは京都の80年前の歴史を私に教えてくれました。自分の人生物語を他者に語ることつらい生活でも私の人生の中に輝いていた時代のあったことを気づかせてくれます。傾聴は物の見方考え方を変えてくれるのです。理論30%現場70%。人と遭い、聴くことを百回も重ねて、ご利用者が亡くなるまで寄り添い、聴き続けてゆく。傾聴を極めてゆく。18年間の傾聴の集大成はまだ道半ば。半分にも達していません。今後とも110名の傾聴ボランティア会員とともに日夜傾聴活動に精進させていただくつもりです。まだ78歳。毎日15000歩き、一生涯傾聴にこの身を捧げてゆきたいと存じます。よろしくご指導ご支援賜りたくお願い申しあげます。

 

 

 

No.129

     「退職後17年目に思う事 」   Kさん

 

「光陰矢の如し」本年10月に、勤続36年の会社を退職して17年の歳月を終えた私です。この事実を真に受け止めて過ごしています。本当に早かった〜。退職1年目頃に元勤務会社の“OB会報誌”に会社の大先輩あり、社長・会長職を務められたS氏の寄稿文の「ハッピーリタイアメントの条件三原則」ー幸せな(退職後)余生三原則ーを基に氏の退職後の生き方等々をペンに取られていました。強烈に当時自分の心に留まりました。退職間もない私の第二の人生のポリシィを求めていた時に、この三原則の教えは救いの手段であった。以降三原則を心しながらも漠然と余生を送ってきました。しかし約4年前に『傾聴ボランティア活動』と巡り会い、三原則とリンクする一つがこの傾聴活動であるとの確信を得ました。
 ◎三原則→①社会との繋がりを大切に:勿論現役時代に於いても世の中の多方面、対人への繋がりを大切に歩んできましたが老後はこの範囲、機会の場が狭まるのを余儀なくされてきました。傾聴活動により今まで知り得なかった世界で、又多彩な人生を送られてきた仲間たちとの出会い繋がり、なんといっても大きな繋がりは私の未経験未知の老人福祉施設、病院等の関係者及びご利用者さんとの素晴らしい出会い繋がりを得ることが出来ました。
②自立(律)する事:他人に頼らず自分のことは自分でする。人間は物心ついてから食事・排泄・入浴という自律三原則を当たり前にらやってきたが、老後の生活では体調の変化が進むとこれに於いてのこの自律性の尊さと難しさを心深く共感できた。
③足を知る:俗に言う「贅沢を言わない」ということだが、若者には現状に満足せよとの言葉は禁句である。傾聴を続けていく中で時々訪問相手から発せられる言葉で「ここ(施設)より他に行く場所がないのは淋しいが、こんなありがたい場所はない」と聴かせて頂く。これがまさしく傾聴から得た「足るを知る」=「今を知り感謝する」事に値すると確信する。傾聴活動で学び得た上記三原則を胸に、残り少ない貴重な我が余生“人生のページ”を有難く且つ大切に捲っていきたいと念じます。

 

No.128

      「傾聴ボランティアと私」    Yさん

 

私は若い頃から人とのかかわりを大切にして、人生を歩んで来ました。結婚、子育て、共働き(この言葉を今では使いませんね)を30年間、勤務しながらある団体のボランティアを20年ほどしてきました。孫育て(今でも続いてます)と、、、。そのためか、とてもおしゃべりになりました。最後は高齢者さんと傾聴で、、、。ここでは私は聴き手です。
 それから今5年目を迎えようとしています。「傾聴ボランティアはきっと座ってお話しを聴かせてもらうのだから、年を取っていても体力的には大丈夫だろう」と軽く思っていましたが、現在は私の考えは甘かったと思っています。というのは私は70歳を迎えると老いが少しずつ入って、物覚えが悪くなり物忘れが多くなってきたのです。
 私が最初6日間の講座を受けた時(68歳)に、傾聴の学びは奥が深いことに気が付き、そのため続けて次の講座6日間を聴講しました。それでも傾聴の学びはなかなか難しく大変で、そのため続けて次の講座の時は実習生お世話係をさせてもらいながら又6日間講座を受けました。またその後指導者コース(6日間×3回)を受けて学びを深めてきました。この4年間はず〜と学んできましたがなかなか頭ではわかっていても、いざ話を聴かせていただいても反復が身につかず、まだまだ苦労しています。傾聴では技術と心が大切です。せめて技術が伴わないのであれば、笑顔で真摯に相手の気持ちを汲み取って寄り添って聴かせてもらおうと心がけています。現在受け持っている高齢者さん(50回近く傾聴させてもらっています)がいつも私が来るのを楽しみに待っておられます。うれしいです。後どれだけこの傾聴が続くかわかりませんが、寄り添っていけるように祈っています。
 現在105歳の日野原先生(聖路加国際病院名誉院長)が「私が人生の旅で学んだこと」の本の中で、ボランティアについてこう書いてあります。「ボランティアの基本は“ギブ”(与えること)」「自発的に行う、見返りを求めない無償の行為がボランティアです、そしてする側と受ける側に心と心が触れ合う基本的な人間関係ができていなくてはならない。自分以外のことに自分の力を使うことは、自分の証であり、それが自分の生き甲斐になるのです」ー日野原重明ー
 「スピリチュアルケアとは、本人の価値観の変容や苦悩の変化につながることを祈りながら、傾聴者が聴き続け、寄り添い続けること」ーチャプレン阿部勉ー

 

No.127

     「傾聴と私、そして母」    Aさん

 

  私が傾聴養成講座を知ったのは、図書館に置いてあった月間情報誌「ボランティアーズ」です。
それまで時々「傾聴」という言葉は聞いてはいましたが、詳しくは知りませんた。東日本大震災で、被災者の方の傾聴にあたられたグループの事を本で知り、少し関心を持つようになりました。
2012年に定年退職しました。半年か1年ぐらいゆっくりしたいと思いましたが、退職前後に夫の度重なる病気、入院、手術があり、そうも行かなくなりました。60歳を過ぎて思ったのですが、体の動く内に少しは人の役に立ちたいと。それでも傾聴養成講座の申し込みには踏み切れませんでした。一つには、同居はしていますませんが、姑の認知症が確認され、直後に2度の骨折をしたこと。二つ目には夫の病気の再発問題です。この様な条件が全部クリアするのを待っていたら、私の方が先に逝くと思い、申し込みを決めました。不安でしたが、それを打ち消したのが1枚の小さなメモ用紙でした。申し込み用紙に添えられた代表の奥様からのメッセージ。「皆さん同じような年齢の方です。ゆっくり一緒に頑張りましょう」と。メモが私の背中押したのです。
 2013年7月22日(月)1回目の養成講座を受けた日の夜、妹からの電話で母が倒れたことを知りました。「やっぱり来たか」という思いでした。次の日に帰省しました。ベッドに横たわる母を見て、せめて講座が終わるまで待って欲しいと、勝手な事を思い浮かべる私でした。母は持ち直し年を越しました。
 その母も2014年1月に亡くなりました。最期には会えませんでしたが、偶然にも私は亡くなる前日に帰省したのです。認知症のため、娘と分からない母との会話法は、講座で学んだ「昔の事は覚えてる」でした。父との結婚当初の頃を良く覚えており、話が弾みました。話し疲れたのにか帰る際には良く眠っており、いつもは「又ね」とする挨拶をせずに帰宅しました。次の日の夜に母は亡くなりました。一声かければ良かったのにと悔やみましたが、傾聴講座で学んだ事が最後に活かせたことは良かったと思っています。小さな歩みですが、続けたいと思っています。

 

No.126

         「傾聴と出会って」    Tさん

 
“傾聴ボランティア”ちらっと耳にしたことはあるものの、内容は全く知らなかった。それなのに自分がその活動をするようになるとは思いもしなかった。
  知人の話を聞き流していたら、そこで終わるだろう。しかしちょっとしたやりとりが縁を繋いでいく。何もわからず飛び込んだものの、本当にこれでよかったのだろうか。私がさせてもらってもよいのだろうか、、、と思ったりもする。学んだ通りにいくものでもなく、又その通りにやろうとすれば、それだけ頭が重くなる。
  相手の方の気持ちが晴れ、喜んでくださることが大切だと思う。相手の方の気持ちにそった傾聴を続けていけたらと思っている。
  最後のボランティアとして出会った傾聴。ずっしりと重さを感じている。ご縁をありがとうございます。

 

No.125 

        『ナラティブによるケア 』     Kさん

近年精神医療の現場では、ナラティブによるケアが注目を浴びています。
これまでは、ストレス障害、気分障害、統合失調症、依存症の治療は専門家が診察、質問することで、もっぱら原因を探り、それに基づいて治療するということがよく行われていました。
しかし原因が分かっても、障害から抜け出すことがうまくいかないことがあります。例えば感情障害の原因が幼少期の両親との関係にあることがわかっても、過去にさかのぼって原因を取り除くことは困難です。クライアントも、すでに起こってしまった過去に目を向けても、ますます問題にとらわれてしまうばかりです。そこで原因を過去に求めるやり方を変え、現在の状況を、心の訓練をすることで、少しずつ改善していくのが、認知行動療法の立場です。それでも、現在の状況を変えようとする余り、問題自体に心がとらわれてしまい、苦しみを深めてしまう場合もあります。(自分をかえられない・・・わたしは情けないやつだ・・・)
そこで新たに登場したのが、問題自体を、問題として意識しない、つまり問題自体が、意識の中から消えてなくなる手法です。これは問題と本人を切り離し、問題自体をニックネームで呼んでみたり、関係する人と共有したりして、別の角度から眺める方法です。これは問題を外在化する手法と呼ばれています。
こな手法の一つがナラティブによる傾聴です。ナラティブによる傾聴とは、その人の人生の物語を、心を空にして、受容と共感をらもってひたすら聴くという手法です。ナラティブの傾聴により、本人の存在感を支えると共に、本人に問題を客観的にみる視点を与えます。最近はアルコール依存症の患者の集まりでも、クライエントが一人ずつ、自分のことを語り、誰も感想や意見を述べることが禁止され、ただひたすら、皆が聴き合う、というものです。初めは退屈な会という人もいますが、それでいてらこれまでにない効果がもたらされています。

 

 

№124 

  『老前整理で暮らしやすく楽な生活に!』      四日市  Kさん

 刈り揃えられた生垣の金芽拓植が新芽を出しとてもきれいです。夫が手入れしています。夫は66歳、健康で仕事に趣味に忙しく過ごしています。その生垣を私がフェンスに変えようと提案しました。理由は手入れが出来なくなってからするのではなく早め早めに暮らしやすく改善して行きたいからです。はじめはまだ出来ると反対だった夫も私の考えを理解してくれました。この機会に道路からの出入り口も車が出し入れし易いようにしてもらう事にしました。苗木を買って植えたハナミズキも大きくなり過ぎたので抜いてもらいます。もう充分に楽しませてもらったし、落ち葉の掃除も大変です。

 子供が独立し、親を送ってから2人で暮らす家には不要な物が沢山ありました。それを5年前から整理しはじめました。使わない物を処分したり人に譲ったりしました。なかなか捨てられない物もたくさんあります。そのひとつが今は着ることのない着物でした。同じ思いの人が集まって自分の服や小物にリメイクしています。これを機会に不要な着物を処分します。

 

 花を育てるのが好きで畑と庭に色々な花を咲かせて楽しんでいます。畑の水仙は増え過ぎたので球根を掘り起こし3分の1に減らしました。庭のプランターも数を減らしています。老いる前からすこしずつ片付けてシンプルに暮らしたいと思っています。

 

 

『人生相談』と『傾聴』    四日市 Tさん

 私は「序の舞」や「大丈夫、死ぬまで生きる」など、女性の一生について書かれた小説や自叙伝が好きで、それぞれの生き方に魅力を感じてきた。また、新聞やラジオの人生相談も好きで、相談者の話に涙したり、自分だったらどう乗り越えるだろうかと想いを巡らせたりしてきた。

 傾聴を学ぶようになって、「人生相談」の対する視点が違ってきた。相談者のいろいろな人生だけでなく、コメンテーターの受け答えにも関心が出てきた。

 コメンテーターは、相談者の話を聴き、その奥にある、本人も気づいていないような「苦しみ」を指摘する。すると、相談者は胸に詰まっていたものを吐き出すようにウァーと泣き出す。そのときに、「これで大丈夫。貴方は、一歩踏み出した。自信を持って生きて行けます。」と背中を押す。相談者の声は、電話をかけてきたときと違い、明るくなっている。たかが、15分でこの変化である。コメンテーターの方々の洞察力のすごさに、いつも驚いている

 以前の私は、相談された時、「どのように、力になってあげたらよいのか?」と考えながら聞いていた。しかし、今は、「相談者の話を聴くことに専念しよう。」と思うようになった。(本当の苦しみには、たどり着けないけれど・・・)

 先日、新婚の若い友達と会う機会があった。胃の調子がわるいというので話を聴いていると、「独身の頃の生活との違いに、戸惑い、身体が悲鳴をあげている。」という状態であった。延々と話し続け、気づけば、外はとっぷりと暮れていた。次、彼女から「話を聴いてもらったので、身体が軽くなったような気がする。食欲が出てきた。」とお礼の電話をもらった。私の傾聴力も、少しは向上したのかな?と嬉しくなった。

コメンテーターの方々のような深い洞察力も知識もないが、クライアントさんの気持ちに寄り添えるよう、今後も研鑽を深めていきたいと思っている。そして、縁あって知り合ったクライアントさんの人生を、ゆっくり、ゆっくり、聴かせていただこうと思う。

 

 

 122   

     『 聴く力は分かろうとする心    四日市 猪岡紀久子

 

 人間関係は、一方通行では成し得ない。相手を無条件に批判せずに肯定的に受け入れることで、信頼されているという安心感が得られ、居心地の良さを感じられる。

 「お母さんはいつも僕の話を聞いていない」。ある日、小学5年生のA君はお母さんにこう言い返していました。お母さんは彼のおおらかな様子を、いいかげんな子と感じていました。予想外の発想力に理解出来ないことが多くありました。「こんなにあなたのことを思っているのに、何で分かってくれないの」という思いもあって、彼のなると信じて自分の考えを押し付け、思うようにならないと文句を言い叱っていました。心では思い通りにならないと理解していたのに、感情を抑えられずに自分の考えを押し付けていた事に、初めて気づいた。子どもの気持ちを聞くことは、その子を分かろうとする理解への道に続きます。親も自分の気持ちをきちんと伝えることが大切です。「聞く」「伝える」という気持ちが、触れ合う親子のコミュニケーションからお互いを分かろうとする思いやりの関係が、生まれます。

 私たちは自分の経験をもとに知識や考え、価値観を持っています。そのため自分の思い込み(うのみ)を優先してしまいます。

 さて、日々傾聴活動している中で「何のために話を聴くのか。何の意味があるのか」そのような?が頭に生じる事が・・・。聴くということは、相手の感じていること(感情)、考えていること(事柄)に関心を持ちながら、心から分かりたいという思いで、あなたという存在を大事にしていて、そこに居て良いんだというメッセージを伝える事です。今、一度立ち止まって考えてみよう。他者に対する想像力が劣化して「・・・だから、聴けない」と壁を作って聴こうとしないのはあなた自身の心なのです。

 

 一緒に在って聴いてもらえたという確信が安定感、信頼感につながり、その見返り?に、久し振りに笑えた、心が軽くなった、又来てね、ありがとう等の言葉に、例え言葉がなくても、心底の目を輝かせた笑顔になって返してくれます。このような、素晴らしい贈り物、温もりをいただいていることを素直に感じ取って、明日からの傾聴活動の心の糧にしていきたいと思います。

 

 

121

         『傾聴18年の歩み』    安井 潔

 

傾聴は今から18年前神奈川県の、傾聴ボランティア活動から始まった。私は企業のセールスマンとして36年間勤めて59歳で定年退職し東海大学村田久行助教授の講座に参加した。すぐに茅ケ崎市で老人ホームの傾聴活動から始まった。団体名は神奈川アルクだった。1999年京都市伏見区移り伏見社協にボランティア活動を申し込んだが理解していただけなく妻とともに老人ホームを次から次と訪問していた。2000年1月に京都アルクをおこして代表となった。10名くらい。朝日新聞や読売新聞で安井の傾聴活動を知って安井へ申し込んでこられたメンバーだった。京都市会議員の砂川祐司理事長様(恩人)の老人ホームの別棟の屋を貸していただき、傾聴活動は始まった。2002年からノートルダム修道院をお借りした。2004年村田先生が神奈川から京都のノートルダム女子大学大学院に戻ってこられて会の名称変更となり京都傾聴塾になった。代表は安井でスタートした。それまでの学び場は伏見の電器屋の2階や龍大中村先生のご自宅で講座や月例会は開かれた。会員は120に膨らみ月例会は2回火曜日と金曜日であり安井は天橋立と和歌山の富田町と計4回月例会へ参加し続けた。講座は3回/年。2005年村田久行先生と意見の食い違いにより仲間の18名とともに京都傾聴塾を去って京都PANA-ALCを設立して今日にいたっている。2006年四日市支部が猪岡紀久子さんによって設立された。京都では、ひとまち交流館が出来て月例会も講座も開催した。2012年SKYセンター様との関係が出来安井が傾聴講演会を重ねた。2013年1月からSKY第1期の傾聴ボランティア養成講座が丸太町で始まった。SKY、36の月例研修会も丸太町で、安井講師で続けた。今13名が学びを続けている。PANA-ALCの2倍の学びをしている。カリキュラムも村田久行先生の哲学カリキュラムから鷲田清一先生の哲学カリキュラムへ。白石先生の社会学カリキュラムに変えて今の明大の心理学者諸富祥彦先生の初めてのカウンセリング入門下にカリキュラムは4回書き換え現在に至っている。鷲田先生の聴く事の力は私のバイブルになった。450冊の哲学心理学を読み続けて作り直してきた。今年は78歳になる。精魂こめて会を運営してきたが後輩も育ちPANA-ALCもSKYも四日市も安心して任せられるようになった。人は任せて育ってゆく。会話記録とスーパービジョンは傾聴のいのち。これが薄らいだ時会は消えてゆく。人はえてしてしいほうへとなびいてゆく。傾聴の基本は、何故聴くのかから始まり、訪問し、寄り添い、声をかけ、ご利用者の物語を聴いてゆく。物語は聴く人によって紡ぎ直して変わってゆく。気づいてゆく。自分に生きがいがあったことに気がつく。気がつかない人は傾聴訪問して無い人会話記録を書いてない人。話す、覚える、書く、伝えるは人の脳を活性化させより元気にしてくれる。今18年かかってやっと傾聴の重要性が叫ばれてきた。他者の支援あっての私である。永年のご援助にひたすら感謝申し上げます。

 

 

No.120  

       傾聴ってなんだろう        Oさん

 

これまで何人かの高齢の女性の傾聴をさせていただいた。そこで感じていることがある。それは、皆さん、しっかり生きてきたという矜持をおもちだということである。生き生きとした表情で、自分が輝いていたときのお話しをされる。ご両親への懐かしく温かい思い、ご主人への敬愛の情、お子さんを立派に育てられたという自負。お孫さんや曾孫さんのことを語る口調は慈しみに満ちている。こうしたお話しを聴かせていただくのは楽しい。私自身も温かい気持ちになる。高齢者の皆さんは、戦争などさまざまな苦難を経験され、それを乗り越えて現在に至っておられる。そのことに深い敬意を覚えると同時に、胸にしまっておいた大切なお話をして下さることをありがたく嬉しく思う。

 皆さんの思いのなかにはさまざまな複雑な感情が潜んでいる。そうした深い思いを、共感をもってしっかり受け止めることができるようになりたい。

 ところで最近、新聞などで「エピソード記憶」という言葉を目にする。これは「いつ、どこで、何をした」というような、一人一人の生活上の出来事に関する記憶のことだそうだ。認知症緩和ケアでは、このエピソード記憶が重視されているとのこと。川嶋みどり『看護の力』(岩波新書)には、エピソード記憶(特に楽しかった記憶、心地よい記憶)を繰り返し語っていただくことで、認知症と診断されていた高齢者の記憶が回復して普通の生活に戻れたという例が紹介されている。

 私が傾聴ボランティアを始めて2年が過ぎた。勉強すればするほどわからないことが多くなる、「傾聴ってなんだろう」と思いながら老人ホームへ通っている。

  

 

 No.119  

      「私の健康の秘訣」   Hさん

                         

 まさに厳寒の2月、寄稿の依頼を有り難くお受けしました。私としては自分を含め、やはり健康の話題を取り上げるのが得策と考えました。
 人間、何よりも大切なことは健康であることですよね。心身ともに健康そして社会的にも健康でなければ人として生きていけません。今一つ、現在はスピリチュアル的に、言い換えれば自分が生きている意味があることも健康の大事な要素と言われています。
 私が健康の秘訣として実行していることは3つあります。まず一つ目は健康体重の維持で、毎日の体重測定です。健康体重についてはいろいろありますが、私は人が成人に達した時の体重がめやすになると考えています。2つ目は口腔衛生です。わかりやすく言うと現在では歯周病予防です。自分の歯でしっかり物を噛めないことがいかに様々な悪影響を及ぼすか、知れば知るほど口腔衛生の大切さが身にしみて理解できます。まずは、歯科医のホームドクターを持つことです。3つ目は腹の底から笑うことです。平均余命の長い今日、一病息災・二病息災が当たり前になりました。事故や病気を避けて生きることは難しいでしょう。ではそうそうなった時に、いかに早く元の毎日に戻るかを考えると、自分自身に免疫力を付けるしか方法はありません。その免疫力のアップに笑いが必要なのです。病気になっても病人になってはいけません。
 昨年私もやっと繁盛亭デビューを果たしました。江戸時代の頃の、お坊さんの説教から始まったという落語、なかなか面白いですよ。
 京都PANA-ALKの活動を継続していくためにも、健康について今一度考えてみませんか!!
  

 

118

       『物の見方を変えて聴く』  安井 潔

 
新年明けましておめでとうございます。

傾聴活動17年間。神奈川1年。京都16年。傾聴活動を支えていただいています多くの福祉関係者の皆さまには、心から厚く厚く御礼申しあげます。さて、今年は物の見方考え方を変えて聴く、傾聴技術を会員とともに学んでいきたいと存じます。私は老人ホーム傾聴6年、京都の病院ホスピス傾聴5年、大阪の病院ホスピス傾聴9年。ここへきて再び老人ホーム傾聴と精神の傾聴活動を始めました。いろんな施設では、自分の失ったことばかりに目がゆき、悲しんでおられる方が多くいらっしゃいます。しかし物の見方を変えますと、人生で得られたこともたくさんあることに気がつかれるのです。この発想の転換こそが、傾聴の中で重要かと存じます。心のあり方一つで相手の方に気づいていただく傾聴の技術。今こそ聴かせていただく側の発想の転換が必要ではないかと存じます。下記へ例文を掲げてみました。

 今の苦しみ見方を変えます

1   病気ばっかりしている。病気して初めて他者の真の言動も見えてきます。人の情が身にしみます。

2 何の役にも立たなくなった       貴女は結婚されお子さんにも3名に恵まれ育てられ、更にお孫さんにも6名恵まれ女性として大きな成果を上げられました。

貴女の生きている後ろ姿をお子さんたちは見ていますよ

3 歩けなくなって80歳。人の助けを借りて生きていいんですよ。80歳まで世の中に尽くしてこられたんですから。何にも恥ずかしい事ではありませんよ。

4 老人ホームにいれられた。 ホームに入られて窮屈さもあるでしょうが

また新しいお友達もできましたね

5 頑固もんや。意思が固いんですよ

6 ずぼらや。おおらかなんですよ

7 飽きっぽい。切り替えが早いんですよ

8 ぐず、のろまや。  丁寧なんですよ

9 理屈っぽい。  理論家なんですよ

 

物の見方、考え方を、変えてみますと

新しい一面が見えてきます。        

 

 

No.117

      『父が米寿を迎えて 』    Aさん

                         

 父は88才、母が3年前に亡くなり、今は一人で暮らしています。ようやく日程の調整ができて、先月、米寿を祝う会を開きました。私と妹夫婦、それぞれの子供6人、そして子供の家族と、総勢11人が集まりました。

事前にささやかなプログラムを作り、そこに父の経過を「7人姉弟、戦争体験、35年勤務、母との結婚」として簡単にまとめました。まとめる作業をする中で、これまで断片的に聞いていたことが次々と思い起こされ、父の生涯がつながって見えてきました。

当日の祝いの席で私がその内容を紹介したのですが、父はすぐに引き取って、次々と思い出を語り始めました。声に力が入り、ついこの間のことのように話す姿を見て、そこまで鮮明に覚えているんだと驚きました。初めて聞く話もあり、父の思いも伝わりました。

父も生涯を振り返り、私も様々な体験をしてきた父を尊敬の思いで見直し、息子達も現役時代のおじいちゃんの話を聞いて人の一生について思いを深めたようです。

3年間の傾聴活動では4人の方にお会いして、戦争の体験や豊かで楽しかった幼少の頃の思い出を訪問のたびにお聞きしてきました。今は施設やベッドで静かに暮らしているけれども、かつては忙しく働き「輝く人生」を送っていた頃の姿が少しずつ見えるようになっていきました。今回父の話をきちんと聞こうと思ったのは、傾聴活動を通して「寄り添い話をじっと聞く」ことを学んだからこそと改めて実感しています。

まだまだ自己成長につなげられていませんが、まず相手を認めその人の世界に入って話を聴くよう、これからも努力していきたいと思っています。



No.116   

          「私の傾聴活動」   Oさん


 私が心理学に興味を抱いたのは、何気なく参加したエンカウンターグループからです。5,6人多くて7,8人が車座に座り、代表が立ててくれたコーヒーを少しずつ飲みファシリテーターの開口により閉眼し今現在この場所で今の瞬間に頭に描かれた事・疑問・悩み・苦しみもちろん喜びも、自分の声で問いかけ参加者は受容共感し受け止め、それぞれの考え方を共に考え苦しみ悲しみを自己他者の精神活動により1時間を2回実施し悲しみや苦しみは持ち帰らない。私はこのエンカウンターグループを暫く活動しながら負の気持ちは少し消え去りました。

大学でボランティア活動の話があり傾聴ボランティアの事を知り京都PANA-ALCの傾聴ボランティア養成講座を受講。午前講義・午後実習と内容の濃い講座でありましたが、なんとか終了。その後月1回のペースでボランティアをさせて頂いています。

こんにちは、・・今日は本当にありがとうございました。また来ても良いですか、じゃあさようなら。・・この間30分あまり、決められた僅かな空間と時間を共有し相談者のお話をお聴きし受容共感するのですが、陽性の相談者のお話は楽しく、反復を忘れそうになりオウム返しの反復で苦笑する事度々です。

毎日ぼけないようにドリルをしています。漢字の書き取り、簡単な計算をしています。明るくドヤ顔。私は、近頃自筆で書くことは殆どなく漢字が出てきません。加減乗除も電卓です。ここでのボランティア経験は当事者の鏡に写りこんだ私自身と感じるようになってきました。

追伸:(受容・共感)ことばではわかった気持ちですがまだまだです。

 

 No.115 

「人生の先輩方に敬意と感謝」 Nさん

 

 

 私は現在、小規模多機能型事業所ちう高齢者施設に勤務しています。定年後の4年間は週2~3日の非常勤でしたが、今年の4月から5年ぶりのフルタイム勤務になり、毎日出勤するだけでも悪戦苦闘の日々を送っています。

 

 小規模多機能型は、認知症の方々が、「通い」うあ「お泊り」、「訪問」を利用される際、同じ顔ぶれの職員が対応するため安心されるという利点があります。

 

 少人数の利用者の皆様と少人数の職員が、生活リハビリなどを行う中で信頼関係が築かれていきます。慌ただしい午前中の業務が終わり、午後からのレクレーションの時間は、両者がグッと近づけるような気がしています。お一人おひとりとゆっくりお話しができて、職員にとって認知症ケアを深く学べる貴重な時間になるからです。

 

 先日、「♪ふるさと♪」を歌った後、利用者の皆様のご両親の名前を伺いました。参加者(平均年齢は85歳くらい)全員が、ご両親の名前をはっきり答えてくださいました。どのような字か尋ねると、漢字とかカタカナとか鮮明に覚えておられるのです。

 

 今の季節、今日の日付や曜日もおぼつかない方々が、故郷の、特にご両親のことは人柄や当時の口調まで再現して、いきいきとお話ししてくださるのです。私はこのような「時」が大好きです。その方の生きて来られた「道」を聴かせて頂けるからです。

 

 戦中戦後の苦労、嫁ぎ先での心労、肉親との別れなど、「もう忘れたよ。」と笑っておっしゃる方もあれば「しんどかったなあ。」と、しみじみおっしゃってくださる方もあり、様々です。

 

 「1回きりの大切な人生」の折々で感じられた深い本音を聴かせていただけることはとても緊張しますが、感謝の思いが先に立ちます。これからも敬意を持って、丁寧にそっと聴かせていただく姿勢を続けていきたいと思っています。

 

 

   No.114 「友人の訪問を受けて」 Oさん

 

 先日、友人が久しぶりに訪ねて来ました。部屋に通るとすぐに語り始めました。市民定期健診の案内が来たので、今はどこも悪いところはないが60歳になったので一度受診してもようと思って受けました。その結果、骨盤に癌があって、手術が出来ない部位であること。治療は抗がん剤の投与を続ける穂かに方法はないこと。その上転移が何箇所もあって、リンパ腺にも飛んでいると言うことでした。

 

 友人は両親を送って女性の一人暮らしです。家のこと、墓地のこと、等々相談に来られたのです。私は「私に出来ることは何でも協力するから」と言って唯々話を聴きました。これが本当の傾聴ではないかと思いつつ。

 

 こんな重大なことを、明るく淡々と話す友人の姿に感心しました。私ならきっとあわてふためいて、オロオロしていることでしょう。人の命には限りがあるのですが、元気なときは忘れています。友人の来訪によってたくさんのことを学びました。

 

身近な人の悲しみを我が身のことと受け止めて、学びを深めていかなくてはならないと改めて思いました。

 

 「話し手の穏やかさを引き出すのは聴き手の穏やかさである」と何かで読みましたが、聴き上手を目指す私は心のエネルギーの充電を繰り返しつつ、友人の話を永く聴かせてもらおうと思いました。

 

 

   №113 』 Yさん

 

  大学生になる子供のことで悩んでいた時に、川村妙慶さんの「愛し愛されて生きるための法話」という本に出合いました。子育てに悩みや心配事はつきものですが、子供が大学生になりそろそろ子育ても終わりに近づき子育ての悩みからも解放されると思っていました。ところが、大学生になっても悩みや心配事が次々出てきました。近頃の大学は、ご親切に子供の単位履修状況から、成績から次々連絡を送って来てくれます。知らなければそれまでのことも、知ってしまうと元来が気になる性格、つい口を出してしまいました。それもこちらはアドバイスのつもりで、こんなにあなたのことを考えているのに、子供からは煙たがられて関係は悪化。     

 

 

 そんな時に川村さんの本を読み悩みの原因は実は子供ではなく私自身の中にあるということに気付いたのです。本には、親の基準で子供の幸せを考えると、期待感の押し付けになるとあります。

 

  

 親の知識や経験を理解しろと押し付けるのは無理があると。そして大切なのは、子供のことを心から信頼すること、親という字は木の上に立って見ると書きます。見守ってあげて下さい。とありました。子供のためと思って口出ししていたのは、自分が見守ることができていなかったのです。

 

 

子供が大学生になっても、まだそれが出来ていなかった自分が情けなかったですが、改めて気づいたことで、自分が変われるチャンスがいただけたと思い、心が軽くなったのであります。

 

 

  №112  『傾聴とバリデーション(感情の受容)        安井 潔

 

 私は77歳、17年前神奈川で、東海大学健康科学部哲学科、村田久行先生に傾聴理論を学んだその当時の教えは受容と共感のみであった。それは老人ホームと病院の患者さんの傾聴に役立った。

 

13年前64歳の時ノートルダム女子大大学院哲学科で村田久行先生にスピリチュアルペイン特論とスピリチュアルケア特論と対人援助特論を学んだ。これはホスピス(末期がん)病棟での傾聴活動に役だった。そのような学びの中でバリデーション(高齢者の感情表出の受容と共感)は老人ホームにおける、特にアルツハイマー病にかかった利用者への対応は受容と共感、自己一致、タッチング人間の持つ優しさのケアと一致している。利用者の肉体的衰えから来るスピリチュアルペイン(魂の苦しみ)の中で高齢者だからこそ、もつ、感情豊かな部分に着目して私は傾聴してゆく。スピリチュアルペインは(SP  )人間の魂の苦しみです。

 

1. 私の人生はつまらなかった  

 

2.早く死にたかった。

 

3. 早く家に帰りたかった

 

4. 私は何の役にも立たない   

 

5.子供がちっとも来てくれない 不安と孤独

 

6. 私のものが盗られた     

 

7.早く夫の元へ( あの世 )行きたい  等

 

 

繰り返し語られた高齢者の苦しみと悲しみ。

 

このことばの裏にある感情を読み、受容共感してゆく。

 

他者(傾聴ボランティア )を介して己の人生を振り返り故郷を語り、両親の想い出を語り、小学校唱歌を唄い演歌を歌う。これすべて意味がある。人生を振り返って己の人生を承認してゆく。他者に語ることで、高齢者の頭脳は70年前を思い出し、70年前の感情がほとばしり出てくる。

 

  バリデーションは傾聴のなかの、ナラティヴアプローチ傾聴(その人の生きてきた物語を他者に聴いてもらう)につながり、高齢者は生きがいを 見出してゆく。85年間(老人ホームでの平均年齢 )生きていて良かったと他者によって気づかされてゆく。

 

これこそ人生の統合であろう。傾聴活動によって高齢者自ら、私の人生は生きる意味があったことに気づく。

 

これは聴かせてもらっている傾聴ボランティアと利用者との相互作用である。

 

 

 NO111「傾聴ボランティアを始めて」Yさん

 

 私がこのボランティア活動と出会ったのは、ちょっとしたきっかけからでした。そもそもそれまでは、傾聴という言葉自体も知りませんでした。誰でもそうだと思いますが、話の輪の中では自らが主役になりたいものです。

 

「ねえ、聞いて聞いて!」という言葉が日常的に よく発せられるように、話というものは語りたいものであり、聞くという立場になることは しんどいし、また、面倒くさいものです。そして、悲しいかな 「あなたの話を聞くのは苦痛ですよ」ということは、すぐ表情に出たりしてしまいます。

 

実習の時には、「これはえらいところに首を突っ込んでしまったな」と思ったものでした。担当した クライアントさんの話と言ったら、競輪の話がよく出てきて、反復しなさいと言われるからただ機械的にしていたような有様で、この人何を言っておられるかがよくわからないようなことが多々ありました。同じうなづき方でも、相手の語ることがよくわかった上でうなづくのとそうでないのは相手にも伝わるなということに、ある時、気付かせてもらいました。

 

年齢も違う、育った背景も違います。100%同じ土俵に立つのは無理があると思いますが、クライアントさんの土俵に出来る限り近づかせてもらい、その上で傾聴をさせていただきたいと思っております。

 

110  『葉っぱのものがたり』  Iさん

 

父が亡くなって、ふと古書店で見つけた「葉っぱのフレディ」を手に取ってみた。アメリカの著名な哲学者レオ・バスカーリアが生涯に唯一書いた絵本であり、葉っぱの四季を人生に見立てた物語である。

 

春生まれた葉っぱたちは、明るい陽射しの中で気持ちのいい季節の中で元気に楽しそうに踊っています。年長で物知りのダニエルが、フレディに言います。夏から秋、その季節の中で人々のために木陰を作ったり、涼しい風を送ったり役割を果たしてきたこと。秋になってそれぞれがみんな違う色に変化して色づいて、人々を楽しませるということ。やがて北風が吹いて、みんなそこから離れていなくなるということ、死ぬということ。そしてそれは変化するということ。

 

それは自然なことであって枯葉になってまた春になると土に溶け込んで、木を育てる力になること。命は永遠に生きているんだということ。そしてフレディは考えます、春生まれて冬に死んでしまうという自分(葉っぱたち)の一生を生きる意味を・・・。

 

あれから母も亡くなり、大切な人や友人・先輩の訃報に触れるにつれ、いま私は思います。それぞれの人生の四季を生きてこられた方の気持ちに寄り添い心を傾けるということが、また、私の中に生かされ力になっていくんだということを・・・。

 

No109  心に寄り添い聴いて・・・会話のすれ違い      四日市 猪岡 紀久子 

 A君とお母さんの会話・・・A君は学校のマラソン大会で昨年に続いて三位内入賞を目指し、練習を重ねました。でもあと少しのところで追い抜かれ、入賞を逃してしまいました。その夜、A君は「悔しい、あと少しだったのに追い抜かれてしまった」と気持ちをお母さんに打ち明けました。ところがお母さんは「B君はどうだったの。毎日走って頑張っていたよね」とライバルのことを聞いてきました。A君はこの言葉を聞き、B君や順位に関心を持っているお母さんを感じ、少し淋しく思いました。「お母さんは、いつも僕の話を聞いてない」A君のお母さんは戸惑い驚きました。コミュニケーションはうまくいってると思っていたからです。「どこですれ違ったのだろう。子どもが聞いてもらえたと感じる聞き方って?」とお母さんは悩み始めました。小学生の時からのこうした体験で「どうせ聞いてもらえない」と話さなくなるのです。言葉には二つの働きがあります。「マラソン大会入賞を逃す」などの事柄と、と話す人の感情で、A君の場合は「悔しい」という気持ちを伝える事です。私達は、事柄と共に自分の気持ちを語ります。このとき「あと少しだったのに悔しいね」と、A君の気持ちをお母さんが聴いていたら、A君は心の奥で自分に気づくことができ、悔しかった、その気持ちを自分のものとして大切にする体験ができたでしょう。それをきっかけに自分を理解できるのです。そこにはA君を信じるお母さんが居て、二人の心は暖かく触れ合い通じ合うと思います。「聴くこと」の大事さがここにあります。普段私達は事柄ばかりに気持ちがいき、状況判断をしがちです。聴き手は自分の価値観にとらわれずに、語る人の心に寄り添い素直に聴くことができれば、苦しみを乗り越えられる生きる力がわいてくるでしょう。

 

    No.108  「PANA-ALCって何をするところ?」                           Hさん

 

  もちろん傾聴ボランティアを志した人が、互いに勉強し研鑽を高め、よりよい傾聴者をめざしているグループです。
 毎月の例会では、真剣にメンバーの書いた会話記録を検討しあいます。順番に、一人ずつの会話記録をグループみんなでああだこうだと言い合いながら、よりよい傾聴ができるよう会話記録を通して学びます。行間を読み込もうとする熱心な空気が漂います。
 対人関係らに問題を感じていた私ですが、傾聴に行き始めた頃、楽しく話してくださったクライアントさんとの会話記録を書いて提出したところ、それこそ一字一句、先輩方の優しくもきびしい指摘を受けました。当時は顔で笑って心で泣いて、、、という気持ちになりながらも、傾聴とは、、、と少しずつ教わったことをはっきり覚えています。
 傾聴にはたった一つの正解というものはあり得ません。よりよい傾聴を目指して、もっとクライアントさんに寄り添うためにはどうしたら良いか、どうしたら"良く聴かせて"もらえるだろうか、との試行錯誤の繰り返しだと思います。そして、その中で、自らが成長させてもらっているということに気づきます。なぜなら、人の気持ちに寄り添おうとすることは、自分本位とは全く逆の立場に身を置くことだからです。
 傾聴では、クライアントさんが自らの思いを口にしてくださることをひたすら待ちます。待って、待って。その沈黙の間も、心は相手の思いをおもんばかっています。目をつぶってしまわれたクライアントさんの顔のしわを目で追いながら、この方はどんな人生を過ごしてこられたのだろうと察する時間は、自分の生き方を問う時間のようでもあります。

 

会では年に一回、メンバーのみなさんに会の運営についてアンケートを取ります。回収されたアンケートは役員会で一枚一枚時間をかけてじっくり検討されます。新しく役員になられた方が「たった数分間の結果報告のために、何時間もかけるのですか!?」と驚いておられました。PANA-ALCは、傾聴に対する真摯な学びを目指している私たち自身の集まりだと思います。

 

 

   No.107     「娘の出産」         Yさん

 

 

長女がこの1月3日に男児を出産した。娘夫婦にとって待ち望んだ初めての“こども”であり、、私達夫婦にとっても初めての孫である。

不定期・微弱な陣痛が年末から続き、予定日をはるかに過ぎ、とうとう年を越してしまった。出産時には婿と一緒に立ち会わせてもらい、陣痛の発来から誕生までの間、そばで娘の腰をさすりながら声をかけ励まし、ハラハラのし通しであった。

出産時には母親としての私の出番とばかりに構えていたのであるが、やはり何といっても夫となる婿が一番の支えで、私はあくまで外野であった。(当然)・・・。しんどい時にあれこれ尋ねられたり、言われたりすることがかえって負担になると言われてしまった訳である。ついつい心配であれこれ尋ねたり、自身の経験や知識から、先々に言ってしまったようである。待つことや見守ることがまだまだ身についていないことを実感した。自分が長男長女出産のときはどうだったのだろうか、田舎から母に出てきてもらったり、実家に帰りいろいろと世話になっていたことを思い起こされる。母は黙々と日常のことを手伝ってくれていた。忍耐強く見守ってくれたのではないか。そんな母への感謝の思いが募る。

鷲田清一氏の著書「待つということ」を読んだ数年前、子供との接し方で深く心を揺さぶられ、苦しくても信頼して待つことを心に決めたことも思い出される。

今回娘との会話で氏の「待つということ」に触れたときに、既読していた娘からは、「私がお母さんに(読むことを)勧めたんでは?」との返事で、人生の節目にまた読んでみたいものと、共感しあった。もう私が案じることはなさそうである。

 

娘もこれから子育ての中でこの“待つこと”の試練を乗り越えていかなければならないことであろう。娘の母として成長を期待し、私は“おばあさん”として見守り役に徹することにしよう。

 

 

    No106 「嫌われる勇気」安井 潔

 

 

皆さまには新年を健やかに迎えられ、心よりお慶び申しあげます。

 

 

皆さまには17年間に亘り傾聴ボランティア活動に対しまして、ご指導

ご支援賜り感謝申しあげます。

 

本日はアドラー( 心理学者 )の『嫌われる勇気』と言う本から、傾聴ボランティア活動を通じて私が何を感じたのかをお話したいと思います。

 

私と言う人間と周りにおられる人との関係性を関係存在と言います。傾聴活動のなかで、他者との関係だけが壊れることを恐れて生きるのは、他者のために生きる不自由な生き方です。

 

傾聴ボランティアは会議では自由に異論を述べ合いますが、現場の傾聴ではほめることもしかることもしません。ひたすら反復して、受容共感してゆく対人援助手法なのです。アドラーはこれを勇気づけと呼んでいます。

 

傾聴ボランティアは社会にとって有益なのだと思えたときこそ、自らの価値を実感できます。どんな重い病の人であっても、今を生きていること自体大きな意味があります。今ホスピス8年間、老人ホーム17年間の傾聴活動によって、より感じていますのは(高齢者や病弱者)

の『もう私は何の役にも立たない』『こんな体になってしまっては、私はもうどうすることもできない』と今を嘆く患者さ んやご利用者さんがおられます。今たとえ何もできなくても、今を生きるその姿をご家族に見せるだけで家族の心の支えになっているのです。病気のありのままの姿を見せてゆく、あなたがそこに生きていてくれることを、共に喜び感謝してゆく。傾聴は17年前誰かがするのを待つのではなく、他者である仲間が『水くさいやっちゃなー』と私を遠ざけようと、なんと言われようと関係なく、私が始めなければならないと、神奈川県茅ケ崎市で始めました。

 

私は地位やお金の執着を切り替えて、自己受容と他者信頼、そして他者貢献で生きてきました。他者貢献は誰かに尽くす事ではなく、私の価値を実感するためになされると、アドラーは言っています。私のもといた会社のOB26千人をはるかに超えていますが、ボランティア活動しているのはわずかに2-3%。ましてや傾聴ボランティア活動しているのはわずか5人ほどにすぎません。特に高齢男性の傾聴活動の参加が要望されます。

 

 

傾聴ボランティアは他者の誰かに役に立っていることを実感して、自分の存在価値を受け入れているのです。この活動で、友人や知人に嫌われ

、関係性が壊れる事だけを恐れて生きるのは、他者に不自由な生き方です。傾聴活動をしていて、他者に嫌われても、私は他者貢献に生きるという信念で、夫婦で17年間、傾聴ボランティア活動を続けてまいりました。今 ここに76歳にスポットを当てるというのは今出来る傾聴活動を真剣にかつ丁寧にやることしかないと思っています。これもひとえに皆様のご支援のお陰と心から感謝しています。これからも社会の共同体の一員として、傾聴活動を私のライフワークとして、生きてゆきたいと存じます。

 

今年もまたお世話になります。有難うございます。心より御指導お願い申しあげます。

 

 

   No.105                                     Gさん

 

  昨年、大切な二人の方が亡くなられた。

 一人は、最愛の娘さんを残し入院一か月で亡くなられたAさん。入院される時、「娘のことを宜しくお願いします。」と話されていたと聞いている。

 もう一人は仕事の先輩のBさん。交通事故に遭われ、入院10日で亡くなられた。Bさんとは事故に遭われる3週間前に偶然スーパーでお会いし、仕事の悩みを

話されるBさんに否定的なことを言ってしまい、どうしてもっと優しい言葉をおか

けすることが出来なかったのかと悔やまれた。

 後日、二人を知る人から、Bさんが、「私の思いに、渡辺さんが共感してくれてとても嬉しかった。」と言われていたと聞き、涙が止めどなく流れた。

 多くの人々との出会いの中、「安心する」「ほっとする」「元気になれた」と感じていただける様な人になりたいと強く思う今日この頃です。

 

 きっと・・きっと・・傾聴が私を変えてくれると信じています!!

 

 

      №104                                        Fさん

 

 高齢者福祉施設に勤務している頃、様々なボランティア活動をされる方々が、施設を訪れてくださいました。法人自体が受け入れに積極的だったこともあり、訪問ボランティアという形で、地域の団体や個人の方々が定期的に来て下さって、利用者の方と一緒に料理を作ったり、三味線を弾いて懐かしい歌を唄ったり、植物園などへも一緒に出掛けたり・・・。利用者さんの暮らしの幅もがっていました。

その合間に、お茶を飲みながら、利用者さん・ボランティアさん・職員の、人生を振り返る話もよくしていましたが、職員はいつも途中で中座し、ほかの仕事をせざるを得ない状況だったように思います。夜勤帯の夜遅く、寝付かれない方とゆっくりペースで昔のお話を聴かせていただくのとても楽しみにしていました

その頃、「傾聴ボランティア」というのがあるのは知っていましたが、ホスピス病棟だけでの活動だと思っていましたので、何の知識もない一職員が出来るものとは到底考えられませんでした。

数年後、「傾聴ボランティア」を学ぶ機会を得、『傾聴』の難しさに戸惑いだした時、十年前の叔母(母の妹)の言葉を思い出しました

父の3回忌の法要を終えて、叔母を実家近くの駅に車で送って行った時のこと。電車の時刻も確認せずに出掛けたため間に合わず、次の電車が来るまでの約一時間、夕刻の田舎の無人駅のベンチで叔母と二人で過ごすことになりました。

 叔母とは十数年振りの出会いでしたので、私のほうは何となくぎこちなさを感じていたのですが、叔母は、介護している叔父のオムツの当て方を介護職の私に尋ねたのをきっかけに、自分の状況や想いをポツポツと話し出しました。生まれて初めて、75歳のその叔母の想いを聴いたのです。何も答えられず黙って頷くのみでした。

 電車が来て、相変わらず二人だけの駅で、叔母は「有り難うね。聴いてもろうて。もうちょっと頑張ってみようかね。」と、聴くだけだった私に笑顔で言ったのです。

 あの時の叔母の言葉、悩みながら続けている『傾聴ボランティア』の支えとなっているのかもしれません。

 

 

 

No.103「傾聴ボランティアに出合って」 Eさん

 

 

齢を重ねていても、何か小さな奉仕は出来ないものかと考えている時に、SKYの傾聴講座に出いました。すぐ申し込みました所、受講希望者少ない時は取りやめになるということでした。しかし、希望者が多くて会場が変更になるほどでした。講座に続いてパナアルクに入会させて頂き、会の皆さんに助けられて、2年余が過ぎました。そして1ケ月に1回、師匠(百歳)の介護を近所の人に頼んで参加させて頂いております。

昨年春頃から40分ほどの早朝散歩を始めました。散歩中、道行く人とすれ交う時は必ず挨拶するものと思っておりましたが、それがちょっと違っていました。こちらから挨拶しても声が返って来ないのです。薄暗くてよく見えないのですが、イヤホーンを使っておられるのかもしれません。向こうからの挨拶を求めないことにして「おはようございます」と声に出して軽く会釈して、すれ交うことにしました。

3度目、4度目になると、向こうの方から挨拶して下さるようになりました。すると私の心が温かくなり、足元が軽くなるのです。気候が暖かくなると帽子もマスクもとっておられるので、にこにこ会釈して下さるのがわかります。

簡単な挨拶、短い言葉でも掛け合えば、これほど気分がよくなるのですから、話し相手を求められる高齢の方には傾聴ボランティアの存在は大きなものと思います。殊に、施設の入居者さんに耳を傾けますと、中には寂しい、悲しい、何でこんな事になってしまったんだと嘆かれる方があります。戦争を乗り越え、今まで本当に頑張って生きて来られた方が、最後に悲しい思いを抱いておられるのです。身体のリハビリは行われていても、心のリハビリは不充分なのでしょう。何とか、万分の一でも力になれたらと思います。そして、この傾聴の心が身近な地域の人々に広がれば、地域は大きく変わることと思います。

 

 

 

102                祖母の話                    Dさん

 

 

傾聴を始めて二年近く、これまでに戦争の時の話をしてくださる方何人かにお会いした。主に子供の時に戦争を体験されて、皆さん大変な苦労をされていた。そんな話を聴くたびに、私は祖母を思い出す。

 

 私は子供のころ、祖母の話を聴くのが好きだった。

何度も聴いた話が戦争の話だ。

祖母は、戦争中満州に渡っていて、そこで終戦を迎えた。祖父はロシアに連れていかれてしまい、祖母はたったひとりで、私の父を含む子供四人を連れて日本に引き揚げてくることになった。

そのうち一人は生まれたばかりの赤子で、中国人に置いていくようにせがまれたというが、祖母は頑として譲らなかったそうだ。もし、預けていたら私の叔母に当たるその人は、中国残留孤児となっていたわけだ。

そこから、日本へ帰るまでの道のりは、本当に長く辛いもので、飢えや、引き揚げ船の中で隣にいた人が亡くなる話は、当時子供の私には、想像の範囲を超えていて、聴いてはいたものの正直よくわかっていなかったと思う。

大人になって、子供を育てる母となり、祖母がどんなにすごかったかわかった気がする。祖母は亡くなり、もう話を聴くことはできないが、傾聴を学ぶ今なら、もっと祖母の気持ちに寄り添って聴くことができるのではないだろうか。もう一度祖母の話を聴きたい。そんな気持ちになるのである。

思えば傾聴という道に導いてくれたのも、この祖母なのかもしれない。

 

 №101        

「ナラティブ・ベイスト・メディスン」

                                                       奥野昌三

 昨年、京都大学大学院人間・環境学研究棟で日独研究所主宰の公開シンポジウムに出席する機会を得られましたので、その一部をreportとして報告させて頂きます。

ナラティブセラピ-は1980年代心理療法の一つである家族療法の流れから派生した。ナラティブは「語り(あるいは物語)」という言語形式のもつ特徴を通じて病を含む問題となる体験を理解することが重視され『物語療法』と訳されることもあります。

ナラティブセラピ-の特徴エッセンス。

出来事を解釈し意味づけ、それらに基づいて行為することにより自らの体験世界を構築。
それは重要な他者との相互作用(会話)や社会的言説からの影響を含んでいる。
そのため「語り」がその人が望むものと必ずしも一致しないこともある。
そこでセラピストは、その人が語り直しが出来る様に援助。ナラティブセラピ-では、問題がクライエント自身の中にあるのではなく、クライエントが語る物語にあると考えます。セラピストは問題となる物語を肯定的な物語、すなわち新たな物語になるように働きかけ、従来のクライエントの考え方、生活のあり方、生き方を変容させる援助をする訳です。

物語が重要なのは「橋を架ける」という働きを持っているからです。「橋を架ける」とは関係性を形づくる行為です。「語り手」と「聴き手」、そのどちらかが欠けても物語は成り立ちません。

臨床の場では疾患に焦点を当てる従来の見方と、病気が個人固有のナラティブとして、患者の語りを尊重するという見方が必要と考えられます。慢性疾患に対する医療や緩和ケア、老人医療の現場ではナラティブが重要と考えられます。

 

 参考  日独文化研究所主宰 第22回シンポジウム連続テーマ『生と死』

 

 

100号記念号

2600年前の傾聴―シッダールタ仏陀 )

                        安井 潔

皆さまには、傾聴ボランティア活動16年間のご支援に対しまして、心から厚く、厚く御礼申しあげます。有難うございます。本日は仏陀のことを申しあげたいと存じます。

2600年前のインド。ガンジス川の支流。シャ―キャー国カピラ城の王子。シッダ―ルタ

後の仏陀)は妻子親を捨てて出家した。29歳であった。そのシッダ―ルタの足跡を求めて同志社を出た青年の竹田武史さんがカメラを担いで仏陀を求めて中古のバイクでインドを40日間巡回した。彼とは京都博物館の写真展の中でお会いした。初めての彼はきりっと引きしまった好青年だった。丁寧にインドの説明をしていただいた。彼の書いた本も買わせていただいた。私もある企業の電子部品のセールスマンとして36年間世界を相手に販売していた総責任者だった。退職して傾聴ボランティアに出会い16年間妻とともに京都アルクをくり京都傾聴塾をくりそして京都PANA-ALCをつくった。傾聴は2600年前のインドのシッダ―ルタの教えの中にあることを見つけた。その教えはこうだ。

傾聴することを川が私に教えてくれた。御身もそれを川から学ぶであろう。川はなんでも知っている。人は川からなんでも学ぶ事が出来る。シッダ―ルタ教えを安井流に解釈してみた。

『傾聴することを、世の中が私に教えてくれた。私は傾聴を世の中から学ぶであろう。世の中というのは、なんでも知っている。人々は世の中からなんでも学ぶ事が出来る。』

シッダルタは後に仏陀となり後世ゴ―タマシッダールタ言われた。傾聴から私は16年間教えられ続けた。凡夫である私はまさに2600年前の考えに投影し共感し問いかけし、

涙を流し明日への希望を託して傾聴を続けている。京都でお会いした竹田武史さんのサインには輪廻と愛と書いてくださった。

死を前にした人間の生きがいこそナラティヴ傾聴や寄り添いではなかろうか。傾聴は他者愛を支げる喜びではなかろうか。がん末期の多くの苦しむ患者様に寄り添い、その傾聴から己の生きる喜びに気がついた。非凡ではなく平凡が、いかに生きてゆく上で幸せであるかに気がついた。

平凡の良さは末期のがん患者の多くが言われ、私は教えられた。歩ける喜び。手が動かせる喜び。食べられる喜び。これすべて平凡ですが末期のがん患者にはできないことだらけです。親鸞を読んでいたら強欲から傾聴とあった。自分のような強欲なものでも仏様は救ってくださるという悟り。他者に寄り添い、傾聴を続けている私達はその死への安らかな準備をしているのではないだろうか。平凡が20年間続けば非凡となる。合掌

 

 

№97 

聴くことが優しさの行為となった美容師さん

            四日市 猪岡紀久子

  先日美容院に行く途中、子犬を連れた子供の同級生のお母さんと久々に出会った。日頃は車での移動で近所でもなかなか会えないねと、犬のこと等たわいも無いことの立ち話をしていたところ、私が「仕事してんの」と問うたところ「○○の三回忌を1月に済ませたんさ、気が紛れるで仕事に行っている」と、突然に○○君が亡くなったことを知らされる。景色が思考が突然静止状態に、身も心も固まった。涙が出てきた。話し続けるお母さんの、背後にまっすぐ伸びる道をボーっと見ながら相槌をうち聞き続ける。お母さんは我慢しているのに、私の涙は止まらなく嗚咽まで出そうになってくる。かけた言葉は「辛かったやろ」の一言だけ、悔やみの言葉も上手くかけられず、いつものように「お茶しに行こな」と、無理に笑顔を作り背を向けその場を立ち去る。ご両親の悲しみを思い底深く気持ちが沈み込んでいき、風までが身を切る。そのまま美容室へ、ドアを開け挨拶するも動揺は治まらず、鏡を背に前庭を見る感じで落ち着こうと…しばらくして順番が来て椅子に座る。先生と自分の二人だけ、いつもの様に二言三言言葉を交わす。いつもと違う鏡に映る私を見るともなく見、何も言わずカットする手を動かす…沈黙、「さっき、そこで××さんと会って○○君が亡くなったと聞いたんさ、こんな近所なのに今迄知らないでいたなんて」…(涙・涙)、4年生で転校してきた次男と同級で登下校にサッカー教室、ソロバン教室といつも一緒に遊んでくれていた○○くんがもう居ないなんて、悲しくて、ご両親の心中を思うと辛くて、苦しくて(涙・涙)今思えば夏祭りに姿が無かった。小太りで集会所の庭先で座っていた姿を思い出す…優しい笑顔の可愛い子だったのに…、日頃から、先生も同じ年頃の子供さんがいるので、同じ立場で考えて感情を自由に語れる間柄。今日はいつもと違って控えめの相槌で手を動かしながら黙って聴いてくれる。落ち着いたころ、先生の親戚の方が自死であったと、他人に語れない話を自分に打ち明けてくれ、それからその二人(30代の男子)のことを、共に話せた。とてもそこが居心地が良くなり、十分に涙が流せて私の気持ちもスッキリしてきた。カットが終わったところで、洗髪台に誘導された。今日は頼んでないのにと思いながらも洗ってもらう。支払いの際に優しい心遣いの洗髪であったことが分かった。頭もサッパリ、今日は私のこころの手入れをもしてもらえました。ありがとう! 

 

 

№95     点が線に

             山田キヨ子 

近頃、友との再会が重なる。高校の同窓会での45年ぶりの再会がきっかけで連絡を取り合い、会うようになった仲間。学生時代のボランティア仲間のOB会結成、そして、下宿が同じだった友との40年ぶりの再会。そして、気持ちの行き違いからか音信不通になり、気がかりだった人とも「出会えるときに会っておこうよ。」…と。それぞれに昔、点であったものが線で繋がっていくような想いさえする。皆、リタイアして時間的に余裕が出来、そんな心境になったのかもしれない。そして、私自身も、ゆっくり過ごせるようになったせいか、気がつけばぼんやり過去を振り返っている。

ゆっくりと湯船に浸かりながら、ふと浮かぶ言葉がある。小学校卒業の時、担任の先生が半紙に「自分を見つめて」と書き、手作りの額に入れ50名一人ひとり贈ってくださった。何回かの引越しで今は手元のない「自分を見つめて」。中学校3年、受験期に何度も「精神一到何事不成」と黒板に書き、プレッシャーをかけては励ましてくださった数学の担任の先生。卒業アルバムの贈る言葉には「人生は14/111 どこまでいっても割りきれず、少数では表せない分数が書いてあった。青春時代は、悩み苦しんでは「苦しみが悪いのは、自分自身が未完成であるからに過ぎない。」と ロマン・ローランの言葉を自分に投げかけた。他にもいろんな言葉に出合ったであろうに、鮮明な映像を伴って浮かぶのはこれらの言葉。それはきっと何度も何度も噛み砕き、飲み込もうとしたけど飲み込めなかったからかもしれない。今、少しは口の中で細かく砕け始めたような感じはするのだが…。

そして、最近、心にストーンと落ちた言葉、「明らめる」…どうしても自分の思うがままにならないことを 思うがままにしようとするから苦が生じる。思うがままにならないことは、思うがままにしようとはしないで、あるがままに受け入れる。そして、それが思うがままになることか、思うがままにならないことかを見極めることが「明らめる」ことだと。うん、うん、なるほどと霧が晴れ、視界がすうっと広がっていくような気持ちにもなる。

傾聴に出合って7年、色々な方との出会いがあり、いっぱい教えていただいたことが鮮やかな映像とともに心に残る。出合わなかったら気付かなかった事、考えなかった事、悩まなかった事ともに…。今後も「苦しみが悪いのは、自分自身が未完成であるからに過ぎない。」「自分を見つめて」いやいや「精神一到何事不成」自分の熱意が足りなかったからだ。いや、そんなことはない。「人生は14/111と開き直り、諦める。いや、諦めでなく、物事の道理を「明らめる」のだと言い聞かせる。いや、やっぱり「苦しみが悪いのは…」と、こうして、堂々巡りをしながらも、ハードルを低くして、その時々の自分をそのままに生きるしかないのだろう。そしていつか、点が線になり、心から感謝の気持ちに繋がることを願って。

 

 

№94     75歳はまあいいかで生きる       安井 潔       

  

新年明けましておめでとうございます。皆さまには15年間にわたり傾聴ボランティア活動につきまして、格別のご尽力賜り厚く厚く御礼申しあげます。有難うございます。

私も15年前東海大学の傾聴ボランティア養成講座を受けましてこの傾聴の世界へ入りました。59歳までの私はセールスマンで利益10%の追及に明け暮れていました。会社の中ではデジタル社会で、イエスかノー白黒はっきりさせる世界でした。59歳で傾聴の世界へ入るとまさにアナログの世界でした。100人いれば100通りの人間がいます。では判断の難しいのが人間です。いろんな生身の人間がいるという事です。

そうすれば聴き方も100人いれば100通りあるのではないでしょうか。ただ傾聴の

共通点は受容』貴女はこういう悩みをお持ちなんですね 共感』価値判断をせずクライエントをそのまま受け止めてゆく『自己一致』相手の心の内側に立って聴く、自分の心を空にして、耳を傾け相手の世界の中に沈潜してゆく。これが傾聴の基本です。特に自己一致は大切です。相手の心に寄り添いスピリチュアルな魂の揺れに私の魂を震わせて、連動させてゆくのです。

傾聴は失敗してこそ他者の痛みも、苦しみもわかるのです。失敗は成功の宝庫です

失敗して気づき、失敗して進むのです。それくらい生身の人は色々な人生をおくっている人なのです。教えてください。よろしかったらお話頂けませんでしょうか。と伺ってゆくのです。音楽でも魂を揺さぶる力 があるのです。死が迫っている人は、音楽療法士の奏でるアメイジンググレイス( 歌 )で泣き故郷の歌で涙を流すのです。心が魂が震えるのです。なぜなら昔を思い出すからです。傾聴も昔の物語を積極的に聴きます。大変つらかったこと、嬉しかったこと、聴いてゆきます。

ナラティヴアプロウチ傾聴の原点です。男性には仕事の中での成功談義を、80歳以上ならば戦争体験を聴いてゆきます。涙なしには語れない思い出もあります。女性には戦争時代の苦労話を聴いてゆきます。福井までいってのヤミ米の買い入れや夜汽車に乗って京都の手前で警察にみつかり窓から外へヤミ米を投げ捨てた話。昭和20年多くの震災に遭った大阪の人達が、京都へ逃げこんできた話を聴いてゆきます。涙する苦労の日々の話です。その時人の魂は揺れ動くのです。スピリチュアリティです。生きていて良かったと気がつく一瞬です。生きる意味に気づくのです。生きがいに気づくのです。これがスピリチュアルケアです。

私はこれからもに近いでいきてゆきたいと思っています。まあいいかで妥協一杯しながら生きてゆきます。50年間私を支え続けてくれた妻へお礼をこめて。