2024年12月
マイブーム
Tさん
《みうらじゅんさんの展覧会チケット》をもらった。
嫁ぎ先のお店に毎月末に新聞の集金に来られる方と姑とのやり取りを見て[講座引き落としにしてあげたらいいのに]と思っていた私は、私が準備するようになってからは、「口座引き落としにしましょうか」と言うのですが、「いえいえ;この辺りは『集金に来てください』とおっしゃる方が多いし、それにこうやって奥さんとお話しするのも楽しみだから」との事で現在に至っています。そして今日も他愛のない会話の後、「これ!良かったらどうぞ」と手渡されたのが《みうらじゅんさんのチケット》だった。「へえ〜みうらじゅんさん‥‥」と言った後の言葉が続かない。もちろんチケットの似顔絵に見覚えはある。しかし大変失礼ながら[京都出身で、なんかバンドしてはったような。新聞におもしろいコラムを書いてはったような]って事くらいしか私の知識の中に《みうらじゅん》さんは存在してなかった。でも、これもご縁だと
行くことにした。
最終日が近い事もあってか、もともとそれだけ人気の方だったのか、会場は大勢の老若男女でごった返していた。入口から《みうらじゅん》ワールド全開で、初めましてなのにとてもワクワクした。漫画家、イラストレーターだけに絵は素晴らしく「影響を受けた」と言われるように横尾忠則さんを彷彿させるような作品もあった。そして[よくもまあ、こんなに沢山の物を集めはったなあ]と感心した。みうらじゅんさんには、過去に何度も《マイブーム》が起こり、その度に関連品を集められてきた。そのお宝がコーナーごとに分類されているのですが、広いスペースに溢れんばかりに積みあがったコーナーもあれば、[すぐにブームは去ったのだな]と思わせる小さなスペースのコーナーもあった。凡人の私には到底理解できない世界ではあったが[来てよかった]と心から思った。あのチケットをもらわなかったら行かなかったであろう展覧会に行って[好きな事に意味なんてなくていいんだ!]好きなことや好きな物を見つけて夢中になる。[意図なんてなくていい、楽しいからでいいんだ!]体調を崩し、滅入っていた私は元気をもらい笑顔で会場を後にした。
それから現在に至るまで《みうらじゅん》というワードをよく見かけるようになった。それはまさに私の中で《プチみうらじゅん》ブームが起こり始めているということなのか?みうらじゅんさん、ありがとうございました
2024年11月
傾 聴 雑 感
Yさん
世の中は高齢化の急速な進行だけでなく、新型コロナウイルス感染症のパンデミックにより個々の接触も断ち切られるなど、孤立、孤独がそう珍しくなくなってしまった。デジタル化の加速化とAIによる音声など、人の声を聞く機会も少なくなってきた。激甚化した自然災害による生命や生活破壊なども加わり、苦しい胸の内や、心のもやもやを、身近に話したり、相談することは、できないでいる。
一方、時の首相が変わり、納得と共感の内閣を目指すと、大きく報道され、そういえば前首相も、国民の声を聞く内閣と、力説していたのはそう遠くはない。国のリーダーまでが聴くことや共感をアピールするほどになってきている。どこまで本気で?と思うものの、傾聴ボランティアとして活動している者としては、聴くことや共感することなどのワードが大きく取沙汰されていることに、傾聴の認知度がずいぶんと高まってきているのか?と思う反面、世の中全体が、共感モードを強いられそう。なんだか、同調圧力に埋没されそうで、危うい?・・・。
また、スーパーのレジでは「独りやからねえ・・ここでしか話すことはないのよ・・」という高齢のおばあさんに、店員さんはにこやかに応答し、現金入力の方法を他店員が助けておられる光景なども多々見受けられ、認知症との共生社会を目指すことが、店員教育にも生かされているのかな?と感じられる。
私自身はというと、コロナ禍で休止していた自身の傾聴活動が今年度ようやく再開となり、高齢者施設に傾聴訪問することができるようになった。初心に戻り、敬意を込めてお聴きし、誠実に向き合っていきたい。お話してよかった、すっきりしたレベルでも良く、何がしかのその日良かったと、心の内が明るくなってもらえればよしとしたい。
一方身近な家族(夫)には、つい先に口を出してしまいがちな自分を戒め、先ず気持ちを受け止められるようにしていきたいものである。だんだん活舌も悪くなり、耳も遠くなり、聞き返したり、物忘れ症候群に陥りがちな老いの実感が身に迫ってきているが、ゆるく穏やかに構えていきたいものである。
2024年10月
私のボランティア
Kさん
京都市子育て支援総合センターこどもみらい館に天気ランドという小学校入学前の乳幼児が、親子で一緒に遊び交流できる場があります。必ず保護者が付き添い、決まりを守りながら一緒に遊べる所です。コロナのため予約が必要で、三部式になっています。私はそこで二部の12時から14時半までのボランティアです。月に2、3回ですが、その日が楽しみです。べテランの元保育士さんが相談員としていて下さるので、私たち二人のボランティアは子供さんの見守りです。初めて来られた方にパンフレットをお渡して、きまりの説明をしたりします。コロナの事もあるので、むやみにお子さんに触れず、あくまでも見守りです。
でも二人目の弟君ができたお姉ちゃんが、赤ちゃん返りされママが困っておられると、ちょっと弟君を抱っこしてあげます。トイレに行きたいママに頼まれて、お子さんの見守りというか、一緒について走ります。なかなかハードなのですよ。とっても若いパパ、ママが赤ちゃんの写メや動画を満面の笑顔で撮っておられると微笑ましくて、こちらも笑顔になってしまいます。一人の幼児さんに、おじいちゃん、おばあちゃん、パパ、ママと四人で付き添われて来られる方もたくさんあります。一見強面のおじいちゃんが、お孫さんには相好を崩されているのも微笑ましいです。外国の方も来られます。この前デンマークの方が三組も来られて、まあ背の高い事。デンマークは世界で一番背の高い国なのだそうです。遊びもあらけなくて、さすがバイキング。他のママから苦情の電話が二階の事務所にかかってくるほどでした。でも子供さんらが散らかした積み木をパパがきちんと片付けて下さり何か救われた気がしました。2時間思いっきり遊んで「又来てねーバイバイ」という時にはホーッとします。
皆さんが帰られた後は、30分間おもちゃの消毒です。
「お疲れ様でした」と帰る道、なんだか充実感でいっぱいになります。
傾聴させていただいた時と同じ想いです。体力が続く限りボランティアを続けたいと思います。
2024年9月
私の趣味
I さん
私の趣味は歌を歌うこと(コーラス)です。
子供の頃から歌が大好きで一人で童謡や小学唱歌、歌謡曲等を歌っていました。
高校卒業後、入った学校で音楽の授業があり女性20名を三つのパート(ソプラノ、メゾソプラノ、アルト)に分かれ、一つの曲をそれぞれのパートが声を合わせて歌うコーラスを初めて体験しました。今まで一人で歌っていたのをそれぞれのパートが声を合わせて歌うハーモニーの美しさと歌う楽しさを知り感動しました。コーラスとの出会いです。卒業後は地域の合唱団で数年歌っておりましたが、その後仕事等の関係で歌う機会がなくなりましたが、歌への気持ちは途切れる事はありませんでした。
定年退職でやっと歌える時間が出来、女性コーラスに入会し合唱を続けて楽しんでおります。現在はほとんどの会員が高齢者ですが、先生に叱られながらも楽しく歌っています。いつまで続けられるのか分かりませんが、声が出るうちは歌っていたいなあと思います。
傾聴ボランティアで伺っているクライアント(Aさん)も歌が好きな方で、もう何年も前になりますが、ホームに伺うとラジカセから昔の懐かしい歌謡曲が流れており一緒に歌っておられました。Aさんと私は歳が余り離れておらず、その時歌っておられた曲も私が子供の頃歌っていた曲ばかりでしたので、二人でほぼ20分位一緒に歌いました。傾聴ボランティアで歌を歌っても良かったかな?と疑問に思い、例会時に安井さんに相談しましたところ、一緒に歌ってあげて下さいとの助言を頂きホッとしました。その後も数回歌う機会がありましたが、Aさんの体調等で次第に一緒に歌う機会はなくなりましたが、Aさんの歌好きは今も続いています。
2024年8月
見守り生活の近況
MKさん
実家(新潟)での両親の見守り生活が3年目に入っています。
昨年11月に、父の傍で母が静かに逝きました。出棺の前日に初雪が降り、当日は晴天の寒い朝となりました。この辺の習いで出棺の時には、集落の方たちが見送りに多勢集まってくださり、有志の女性たちが静かに鉦を鳴らしながら
御詠歌を唱えて下さいます。皆さんを前に、96歳の父が母の臨終の様子や皆様への感謝の言葉を述べました。(父が杖で立って、しっかりと挨拶をしてくれたのには、娘ながらびっくり)97年の天寿を全うし生き切った母の葬儀は朗らかなものになりました。遺された私の胸にも母への感謝と上手く彼岸に渡ってくれた安堵感とで清々しさがありました。雪国のことで、雪の下の冷たいところで眠るより、春の新緑の中で納骨をしようと決め、今年5月の母の命日に納骨しました。
母を亡くしてからの父は、母の生前と変わりなく穏やかに過ごしていましたが、一区切りの納骨後はどうかと気にしていましたら、ちょうど1ヶ月後のその日から食欲が無くなり、ベッドで横になっているという日々です。以前より両親の希望は自宅での看取りでしたので、かかりつけ医には早くから伝えてありました。不安な時はいつでも連絡くださいとの声かけをしてもらっています。(両親が元気なうちから葬儀のランク迄訊いていました)
昨年より、妹(千葉)も入って見守りを交替でしていますが、父がもうデイサービスにもショートステイにも行きたくない、自宅に居たいと強く言うので、受け入れて2ヶ月。今迄で一番私のストレスが溜まっています。早く妹と交替する日を待っているのが本音です。幸い実家の近くの同級生が自宅にお茶に誘ってくれるので、愚痴を聴いてもらって息抜きです。
愚痴って最高!! 聴いて貰うって最高!!の近況です。
2024年7月
だから、面白い
Mさん
それは3月の例会の朝、いつものバス停でふと、トースターのコンセントを抜くのを忘れたことに気がついた。戻るべきか迷った挙句、「今日は地震は起こらない(棚から落ちて発火する危険はない)」と自分に言い聞かせ、バスに乗った。程なく、携帯がバックに見当らないことに気がついた。これはまずい。次のバス停で降りた。が、バス停は橋を渡りきったところにあり、そのまま引き返えそうにも橋には歩道がなく、路肩の歩行は禁止だ。(私の家は橋を渡った向こう岸を辿れば次の橋を過ぎた辺りで、こちらはいつもの散歩道でもある。)見ると、橋の手前に川に沿って細い車道がある。途中でちょっと遠回りになるが仕方がない。ずんずん歩きだしたら、河川敷に下りる階段が見えた。ここをいけば少しは時間が稼げる。あいにくの雨で、伸び始めた雑草に靴を濡らして急ぐ。
途中、高架下で寝泊りしている人のテントの側をドキドキしながら通り過ぎ、次の橋を渡ってやっと自宅近くまできて、何気にバックを見たら携帯があった。(なにやってんだあ!)と情けなくなった。が、少しして、笑いがこみ上げてきて(ワタシもなかなか面白いことしてるやないか)と思った。(だって、月曜の朝から雨の中、今乗ったバスを1区間で降りて一度も通ったことのない所を歩いて引き返すなんて初体験!こんなことでもなければ‥。)
そして、これはつい最近の事。自転車でこけた。前を走っていた夫が「この齢で恥ずかしいよね。」と言った。確かに一瞬思った(車は目の前をブンブン走ってたし)。が、転んだコンクリートがほんのり温かった。その感触と転ぶという感覚がなんだか急に懐かしく、(あ〜久しぶりだあ、この感覚。こんなことでもなければ‥)と思った。幸い、かすり傷ですんだが、温かい感触はしばらく残った。またしても(ワタシもなかなか面白いことしているなあ)。
これからだんだん、こういうミスが増えていくのはあきらかだ。しかし、その度に情けない!と、くよくよする事なく、おもしろいことをやっている自分に、ふふ‥‥と笑おう。だんだん老いていく自分を、あきらめる?とんでもない!
まだまだ何が起きるかわからない。だから、私の人生、まだまだ面白い!!
2024年6月
母と私 《2人で歩きたかった京都》
AMさん
母が逝って10年になる。今だに心残りなことが一つある。
2013年7月末、実家の母が倒れた。その日は、私の傾聴ボランティア養成講座の一回目であった。実習を終え帰宅した私に、田舎の妹から電話が入った。
「お母さんが倒れた。出来るだけ早く会っておいた方が良い」と。
2012年に退職していたので、次の日に帰省。仏間の隣部屋のベッド上の母と対面。案外元気そうで話も出来たので一安心。まめに世話する妹。それよりも長兄が母の食事の世話をしているのには驚いた。以前の兄からは考えられない変化である。(人に命令はするが、自分は動かなかったから)
それから月一回の実家通いが始まった。(実家は兵庫県の加東市)夫の体調の事もあり日帰りである。母の喜びそうなお菓子を買い込み、仏壇に供えた。
それを嬉しそうに見ていた母。実家は交通の便が悪い。バス停への送迎では、随分妹に迷惑をかけた。スーパーで自分達のお昼を買い、母が見守る側で姉妹が、短い時間を共有した。今思えば楽しい時間であった。
12月に入り認知症が出てきた。私が娘と判別出来なくなったのだ。2014年1月の帰省時は母と2人だけになった。(妹は体調を崩したのだ)養成講座を終了していた私は、傾聴者として母に接した。父との結婚の事・出征・引き揚げてきた日など、よく覚えていた。4人の子供の名前もスラスラと出た。話疲れたのか寝入ってしまった母。いつもは必ずする挨拶をせずに帰宅した私。次の日、97才を目前に亡くなった母。前日に話せたこと、年に不足はなかったので、私は素直に死を受け入れることが出来た。
一つ残念なことは、母と2人で外出したことがなかったことだ。買い物をする、食事をする、ただそれだけのささやかな事が一度もなかった。
京都を2人で歩きたかったなあ‥‥。
2024年5月
朗らかに笑い飛ばして
Sさん
皆さんは一日に何回笑っていますか?
クスクス笑い、高笑い、それとも豪快な笑いでしょうか。
ある“笑い”についての調べで子どもは遊びながら300回、大人になると15回に減り、さらに70代では2回に、又40代以上の男性の5人に1人が1週間以上1回も笑っていないとか。
ご存知の通り笑うと元気になり免疫力アップ効果もあるといわれています。
アメリカのジャーナリスト、ノーマンカズンズ氏が「笑って」不治の病といわれる難病を克服したと一時話題にもなりました。
「幸せだから笑っているのではない。むしろ僕は笑うから幸せなのだ。」とは私の好きなアランの言葉です。
地元の長寿会の集まりに“笑いヨガ”の企画もしていますが、皆さんが「久しぶりに大声で笑って元気が出た!」と喜んでおられるその笑顔を見て私も嬉しく幸せな気持ちになります。
私のマジックワードは、どんなことも「朗らかに笑い飛ばして」です。
それは「痛いの痛いの飛んでいけ〜」のおまじないのようなもので、例えば加齢により今までは難なくできていたことに時間がかかったり、できなかったり、失敗が増えたりとーそんな時こそ「笑ってドンマイ!」「そんな私でも大丈夫!」―アッハッハッハ〜“笑い”は私の元気玉です。
♪♪あなたが笑えば私も笑う〜笑って暮らせばラッキーカムカム♪(ヘイヘイブギーはちょっと古すぎ?)と口ずさみながら「どんなことも笑い飛ばせる」
私でゆるゆる行きたいと思っています。
笑いヨガ くしゃみ 鼻水 目に涙 花粉症に泣き笑い😄
2024年4月
春の息吹を感じながら
Mさん
木々が芽吹き始め、ふきのとうが芽を出し、 天を目指す小さな精霊と言われる土筆も芽を出し始め、春は沢山の元気を持ってきてくれます。
今、春の息吹を感じながら散歩することで元気を貰っています。
昨夏は酷暑、インフルエンザ、コロナと負の状況が続き、体力は消耗しヤル気も失せてしまいました。人と関わることが少し面倒になってました。そんな引きこもり生活が続きましたが、“これではいけない!”と少し歩こうかなと思い始めました。
歩数ウオッチが故障して何かいい方法が無いかと思っていたら、孫がこんなアプリがあるよとインストールしてくれました。
“ピクミン”って知っていますか?一緒に散歩するゲームです。
少し涼しくなった頃、散歩を始めました。
最初は3,000歩がやっとでしたが、1ヶ月過ぎると1万歩が歩けるようになり、今は歩くことに喜びを感じるようになりました。
歩くことでいろいろな発見ができています。今までは限られた所しか通りませんでしたが、歩きながら、町内にお地蔵さんが多いことにびっくりです。
また、娘の店を手伝いながら、人と接することでたくさんの元気をもらっています。
傾聴ボランテイアもしばらく休んでいましたが、再開できホットしています。
今はデイサービスでの傾聴ですが、お話を聴かせて頂くことで自分は人との関わりを求めていたんだとも気付かされています。
まだやる気全開とは言えませんが、少しずつ体力も増し、地震が持てるようになり、参加することにちょっぴり喜びを感じるようになりました。
今年の夏も猛暑が予報されていますが、今の体力を維持しながら、無理せず、喜びを感じつつ、一年が乗り切れたらと思います。
2024年3月
朗読の魅力
SKさん
7年前、退職を機に趣味を持って、残りの人生を楽しもうと思ったのは良いが、それまで何事も真剣に取り組んだ事がなく、勿論続いたお稽古事もなし。楽器、歌、書、絵、俳句、手芸、陶芸、裁縫、フラダンスなど挙げたらきりがない位、シニアでも楽しめる趣味の分野があるが、私はあまり興味がわかず、又自分の無能さにもうんざりしていました。
ある時ふっと、そう言えば昔人前で本を読んだ時、褒められた事があったんだと思い出しました。朗読は道具も要らない、お金もかからない、自分の口さえあったら出来る。あるカルチャースクールの案内用紙に「心が振り向く朗読教室―元気な声出せていますか?無理のない発声で健康な声を保ちます」とありました。更に、「声がかすれて出にくくなった、滑舌が気になる、話し相手がなく一日中喋らない事がある、食事中むせる事が多く嚥下力が落ちた。これらの症状のある人には最適です」と。これからも元気でいるために私がやるべき事はこれだ!と思いすぐ申し込みました。
まず腹式呼吸、発声練習、滑舌練習、早口言葉。詩や短い文章から始まり、古典、民話、童話、エッセイ、小説など、だんだん幅広く難しくなっていきます。教室を飛び出し、小さな会場から始まり大きな舞台で読む機会も与えられました。又、同じシニア仲間と一緒に朗読同好会を立ち上げ、年2〜3回朗読会を開催し楽しんでいます。平均年齢78歳と人生のベテラン揃いですが、気持ちは若くいつも前向きです。
朗読は上面の文字を読むだけでなく、内容を理解し、情景・感情を自分の声によって表現するとても奥深いものです。これは傾聴ボランティアを続ける上にも役立っていると思います。相手の背景を理解し、相手に合わせて会話を進める、思いやりを持って接するなど。
まだまだ朗読も傾聴ボランテイアも未熟ですが、これからも続けて行きたいと思います。又、朗読の魅力を多くの人に伝えていけたら嬉しいです。
2024年2月
老年期における喪失体験
Aさん
昨年、認知症は防げる・治せるという講演を聴いた。
認知症は突然始まるのではなく、正常な老化に加えて、ナイナイ尽くしの生活が続いた結果、老化が加速されてしまった状態。(ナイナイ尽しの生活とは趣味なく、生きがいもなく、交遊もなく、運動もしないような生活)
認知症を予防するためには意欲をなくす「きっかけ」に注意する。認知症につながる「きっかけ」は誰にでも起きる、「きっかけ」に負けると老化が加速して認知症へ。
認知症につながる具体的な「きっかけ」とは、①時間があるのにすることがない(仕事一筋の人の定年退職・稼業代替わり、家事をやめる・孫の成長で世話がなくなるなど)、②病気・ケガで長期安静(体調不良で家に閉じこもる、腰痛・膝痛で行動制限、病気・ケガで入院中・退院後の安静など)、 ③寂しい状況(家庭内の問題、健康・経済、相続の問題、老々介護のなやみや、配偶者との死別、友人の死や転居、ペットを失う、孫の成長、体力や聴力低下の自覚、趣味の中止などのわかれや、家族と同居していても会話がない、家族関係に問題がある、ひとり暮らしで趣味や近隣との交友関係がないなどの寂しさなど)。
私の長年の付き合いの親しい友は老年看護学を教えていたが「老年期の課題は“喪失を受け入れること”」だよと常々言っていた。
昨年、12月そう教えてくれていた大切な友は突然、わかれも告げずあの世へ旅立った。今、私は老年期、辛いわかれ・喪失を体験している。喪失をどう受け入れて行くのか課題を与えられている。
2024年1月
苦しい時のAI頼み
Kさん
寄稿文の順番が回ってきた。文章を書くのが苦手で、特に書きたいネタもなく困り果てた。もう苦痛でしかない。そこで「苦しい時の神頼み」ならぬ「AI頼み」チャットGPTにお任せする事にした。入力したのは「200文字程度でコラムをかいて」これだけ。すると何と言うことか、ほんの数秒でこんな文章が届いた。そのまま全文をお伝えする事にしよう。
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「タイトル:テクノロジーは私たちの生活を変える」
テクノロジーは、私たちの生活に革命的な変化をもたらしています。現代の世界では、スマートフォンやタブレットなどのデバイスが当たり前のように使われ、情報が瞬時に手に入る時代となりました。これにより、私たちはより便利で効率的な生活を送ることができるようになりました。コミュニケーション手段も進化し、遠く離れた人々ともリアルタイムに交流することができます。
また、テクノロジーは私たちの知識や教育にも大いに貢献しています。インターネットを通じて、誰もが自由に情報を入手し、学ぶことができる時代です。また、AIの進歩により、個別の学習ニーズに合わせたカリキュラムや教材が提供されるようになりました。
しかし、技術の進歩によって生じる課題も存在します。個人情報の漏洩やネット中毒など、テクノロジーがもたらすリスクもあるのです。私たちは利便性とリスクのバランスを考えながら、テクノロジーを上手に活用していく必要があります。テクノロジーは私たちの生活を豊かにする一方で、私たち自身もテクノロジーの進歩についていく必要があります。常に新しいことにチャレンジし、能力を磨くことが求められるでしょう。
未来においても、テクノロジーは私たちの生活を変え続けるでしょう。私たちはその変化に対応し、テクノロジーを活用することでより便利で幸せな生活を気づいていくことができるのです。
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きっと我が子が同じ事をしていたら「自分で考えないでどうするの。アホになるで。」と説教の一つでもしているであろう。しかし、ここは自分に甘くポジティブシンキングで「その分ゆっくり寝てられ良かった」とテクノロジーの進歩に感謝しておこう。