2021年 12月
「コロナ感染症拡大の中での傾聴」 Aさん
昨年4月の緊急事態宣言に始まり、何回か感染拡大、緊急事態宣言、解除を繰り返してきた。こんな世の中になるとは予想すらしたことがなかった。
そして、傾聴活動は中止となった。
人と会って話ができない、その前に人と会うことも制限された、マスクが必須で表情も読み取れない。今までコミュニケーションは対面で直接言葉を交わすこと、表情やその場の空気も読み取ることが人間関係の基本だと思ってきた。
テレワークやオンラインの会議、講義など推進されて、今まで直接会っていたことは不要だったのかとも思った。施設の入居者や病室での画面越しの会話など仕方ないと思いつつも違和感があった。
この1年半ぐらい、コミュニケーションについて思うことがある。山極寿一氏は“気持ち伝わるコミュニケーション、言葉に限界 五感生かして”と題して、「五感は他者と共有しにくい感覚で他者と直接触れ合い、近接して身体を共鳴させたときに味わう感覚で、身体がつながったような気持ちになる。他者と共有しにくいからこそ、相手の気持ちを感じようという心の動きが生まれるのではないか、・・・ コロナ禍で制約されている身体の触れ合いを情報技術に明け渡してはいけない、言葉の限界を理解し、もっと五感を生かすコミュニケーションを駆使すべきだ」と述べている。
傾聴では相手から発せられる言葉に思いを寄せることが大切だが、表情、その人が醸し出す雰囲気などよく観察しながら相手に寄り添いつつ、言葉と五感を生かしたコミュニケーションを考えていきたい。
コロナ感染者が減少してきた今、傾聴も再開。また、以前のように疎水べりを歩く、行きは今日どんな方かなと思いを巡らせ・・・帰りはあの言葉、あの場面を振り返りながら・・・
2021年 11月
「コロナ禍の中で」 Nさん
コロナに寄る私達の生活変化はストレスや不安が重なり、健康な人にもダメージを与えていると聞きます。そんな中 私達は励まし、助け合い、知恵を絞って頑張っていると思います。
新聞の記事を読むとコロナのお陰で感激したお話しも沢山あります。
(何をしてくれるの)と言うお話しもありますが、、、、。私もお友達と励ましあっている中で印象に残っている言葉が幾つかありますが2つ紹介したいと思います。
一つ目は 貰った葉書きの内容です。
「 人って “シクシク”泣きますね。 “ハ、ハ、ハ、ハ、”って笑いますね。 4×9=36 8×8=64 答えを足すと 100になります。
人生を“100”とすると 悲しいことは“36”嬉しいことは“64”で 倍近くあります。どんなに号泣 5×9=45 しても半分以下です。
人生は“シクシク泣いて、”ハハハ”と笑って100になる。
今日もコレを読んでくれた皆様にたくさんのHappyが訪れますように。」
2つ目は おもしろきこともなき世をおもしろく すみなすものは心なりけり
(面白い事もない世を面白くするのは、自分の心の持ち方ひとつである)
お友達の家のリビングルームに彼女が毛筆で書いた高杉晋作の辞世の句です。ただし、後半部分は高杉晋作の看病をしていた野村望東尼が付け加えたものだと言い伝えられています。
お友達は時々読み返し、今までの道のりに、こう思えば良かったと思う事が多々あり、自分の心次第で良い方に思い返す事も出来るのだと思えるようになられたようです。コロナ禍の中だけでなく私もこれから「心なりけり」を心して歩んでいけたらいいなと思います。
“誰の為でなく自分の為に。”
2021年10月
「寄り添う心」 Mさん
25年程前、アルフォンス・デーケン氏の講演で、冒頭「人は生まれた瞬間から死に向かって生きている」とおっしゃいました。講演の内容は生と死についてでしたが、その時から死という言葉が私の心に棲みついてしまったようです。
舅と姑、我が子や兄、沢山の人と別れを経験しましたが、まだ自分の死は受け入れてなかったので、あの穏やかな口調から出た一言は胸に突き刺さりました。
生と死が寄り添っていることを、気付き始めたような気がします。
その後、母が認知症を患い、私の顔も忘れ、いつも険しい顔をしていました。母の死が近いことを感じ始めました。
当時、介護保険のシステムはありませんでしたが、病院の訪問介護というサービスに助けられました。
若い担当医と婦長さんが週2回、30分程訪問して下さいました。先生が母とベッドに腰掛け、手を取りニコニコしている姿を今でも思い出します。早世した兄と重なったのでしょうか? 母のあんな穏やかな顔を見て、私まで寄り添ってもらったような気持ちになりました。短い間でしたが、その時、寄り添うことの姿勢を学ばせて頂いたような気がします。母の死を素直に受け入れることが出来、今でも感謝しています。
コロナ渦一人で過ごす時間が多くなり、「死に向かってどう生きようか?」と
自問自答することも増えました。自問自答することで、一人二役、自分の心に寄り添っているようにも感じます。まだまだ死を受け入れる準備は出来ていませんが、自分らしく寄り添う心を持つことが、死を迎える準備のような気がします。
生と死、人と人、動物、植物など全てが寄り添って生きていることを、幸せと感じるこの頃でもあります。
2021年8月
「女子会のお喋りも傾聴?」 Kさん
月に1回の朗読教室の後、コロナで遠慮していたランチ会を久しぶりに行った。もちろんマスクをしてのお喋りと黙食はお決まり事です。
料理が届く前のお喋りは、会話の部分のセリフの使い分けができない。共通語と京都弁が混在してしまう。間の開け方で悩むなど朗読の難しさ奥深さを、そしてコロナの予防接種の話で盛り上がった。
黙って食べて、マスクを装着してからお喋り再開。一人が「実は‥夫が病気になり在宅治療が始まったが、夫はそれを受け入れられず、セカンドオピニオンのことばかり考えて、家族の話を聞こうとしない。私もどう向き合ったらよいか悩んでいる。」とポツリと話し始めた。今日も夫を置いて家を出て来るのをためらったが、息が詰まりそうで思い切って出て来たとの事。一通り話を聞いてから、他のメンバーが順に自分の事を話し始めた。
私からは、「夫が突然下半身麻痺になり、やはりすぐには受け入れられなくて、この現実から逃げ出したいとばかり考えていた時期があった。次第に残された機能でも、条件を整えていけば日常生活は可能であると、実践を積み重ねていく中で自信が持てるようになり、少し前を向いてくれた。長くかかったが、私も楽になっていった。」他の一人は、「免疫疾患の持病があり、ずっと病状は起伏があり気分も浮き沈みがある。」もう一人は、「ペースメーカーを装着し、設定した脈拍数に合わせた生活を強いられているが、どこまでが安全か分かってきたら不自由でなくなった。」と、皆、表面的には健康で明るく楽しい仲間であるが、内面的にはいろいろな悩みを抱えながら生きて来ているのだと改めて感じた。
夫の病気で悩んでいた友人は、「初めて家族以外に話を聞いてもらえた。皆、いろいろあるね。話を聞かせてもらって、自分だけでないのが分かった。私まで、焦ってオロオロしたらあかんね。時間を待つわ。」と言い、少し元気になって帰って行った。今日のお喋り会は、いつもより暖かい気分で終わった。お互いに話を聞いてもらった。傾聴?し合ったせいからでしょうか?
2021年7月
「休会での気づき」 U さん
本当の心は何かがあった時にあらわれる(気づく)と言われる。日常の変わりなく見える状況の中では気づきにくいのである。
私は、令和2年度傾聴活動を休会した。同年の5月末に母が腰椎を圧迫骨折したことから、退院後も「母に寄り添いたい」が休会理由である。ところが、私の行動をふりかえると、母の入院中ほぼ毎日、私は病院に通ったのである。つまり、病院に行くことで私自身が安心を得ていたのである。行くと母は私に“U さんもちょっと休んで行き”と言って、ベッドの足もとの方を空けてくれるのである。まさにこれは、寄り添っているのは、私が母にではなく、母が私に寄り添ってくれているのだと気づいたのである。あっ!もう一人(もう一匹)いつも私に寄り添ってくれていますのが、福ちゃん(猫)です。
終わりに、今後も訪れるかもしれない、思わぬ出来事、それは私に気づきを与えるものと受けとめたい。
2021年4月
「ことば」 I さん
自分の考えや思いを言葉にするのは難しいと感じています。
何げなく言われたひとことで、いやされ、傷つき、勇気の出る事があります。
声の大小、強弱、イントネーション等で受け取り方も様々です。
私は父や夫が転勤族だったので、いろいろな土地に住みました。新しい土地に行くと、その土地の言葉に慣れるまでには時間がかかります。
関西に住み始めた頃「〇〇をなおして」と言われ、どこも悪くないのに、どこを「直す」のと尋ねた時「片付ける」という意味だと教えられました。私は「修理する」という意味しか知らなかったので、カルチャーショックでした。
同じ言葉でも、思ってもいない意味があるものですね。
コミュニケーションをとる大事な方法の一つでもある言葉。
これからも大事に丁寧に使っていきたいと思っています。
2021年3月
「いつでもどこでも」 T さん
施設に出向いての傾聴は休止のままです。しかし、話を聴いて欲しい人はいくらでもいます。ただその機会がなかなか無いのではないでしょうか。
どうしても聴いて欲しいと、過日遠方から来て下さいました。自分の心の内にあることを明かされました。傾聴として取り組んでいるわけではありませんが、気のすむまで話されることを大切にして耳を傾けます。遠路電車で来て下さったのですが、「あゝ来て良かった。聴いてもらえて本当に良かった。」とすっきりして帰られました。
これは細々と続けているサロンでの最近の出来事です。継続と訪ねて下さることのありがたさを実感しています。
2021年1月
「新しい生活様式」 Aさん
COVID-19第3波の到来で、一層感染対策に気を配らなければならないが、第1波の緊急事態宣言が出る前から今もなお、私は友人と会うこともなく自粛ムードのままである。
免疫抑制剤を使用している私にとって、感染の恐怖は常にあるからだ。風邪のウィルスでさえ直ぐに感染するため、自己を守るために日常的にマスクを着けなければいけなかったが、全世界でマスクが必須アイテムとなったことは、難病患者には有難いことである。
夏頃からは、少しずつ人々が動き始め、習い事や各種セミナーも感染対策を取りながら対面で再開した。私が学んでいる通信制大学も2学期は少人数でスクーリングを再開した。
「Go Toトラベル」や「Go To Eat」のキャンペーンも行われ、明るい兆しが見えたが、感染拡大によりそれらも中止され、再び緊急事態宣言の危機に見舞われた年明けである。
ソーシャルディスタンスが叫ばれるようになり、友人と飲食ができないことは、私自身の所属欲求が満たされないように感じてストレスとなっている。そこで、最近は時々ではあるが、ZOOMを活用して対話コミュニケーションを取っている。
11月には、感染者の多い北海道や東京の友人も参加してリモートオフ会をした。遠方の友の顔を見ながらの気軽に話せるのは楽しくもあり嬉しいものである。私が主催している患者グループの担当者ミーティングも今はZOOMで行っている。患者交流会が現在開催できないため、これもZOOMでお試し中である。同級生が余命宣告をされたのを機に『みんなに会いたい』との要望があり、リモート参加OKという中継クラス会も開催できた。
クラスターが懸念される高齢者施設は面会中止となっているため、傾聴ボランティアの訪問ができない状況であるが、京都PANA-ALCで学んだスキルは、高齢者に特化した傾聴であるものの、ストレスを抱えた友人や家族との対話にも取り入れることができる。
友人との対面は、まだ控えた方が良いが、ZOOMやLINEビデオなどを使うと、自宅に居ながらお茶会を楽しむことができるだろう。そんな時にも、意識をして傾聴を心掛け少しでもスキルを高めたいものだ。新しい生活様式に合う傾聴も生まれるだろう。
傾聴や対話をする時には、私はノンバーバルコミュニケーションを重要視している。それは、言葉よりも多くを物語っていることもあるからだ。自分の視線、姿勢、表情、身振り、動作、服装などに気を付けて表現している。マスクの下の表情は分かりにくいし、声も聞き取れないことがあるから特に気を付けたい。最近ではマスクコミュニケーションというのがあるらしい。人と会わないため、実践できる機会が減っているが、表情がクローズアップできるリモートにも応用ができるはずである。このように、今は学びの時だと考え、多くの参考文献を読み研鑽に努めたい。今後の社会変容のシナリオは、私のような者には予想もつかないが、今できる社会貢献を手探りしながら、これからも進んでいこうと考えている。