2019年度 今月の寄稿文

2019年12月

「母からの傾聴」 Sさん

 

 京都PANA-ALCに入会させていただいてから、長い年月が経っています。月1回の不定期で記録も書けていない状態で、在籍だけで、非常に心もとなく今まで来てしまいました。こんな私がお話できることは何もないのですが、今年亡くなった母の思い出を聴いていただけたらと思います。

 就職で地方に転勤、単身で住んでいた頃に本当に辛いことがあって、母に電話して自分の思いを聴いてもらえるのがどんなに支えになったことかと思い出されます。一方的に話すのを、黙って聴いてくれる。それだけで救われた思いで、本当に今思えば感謝の一言につきます。がんばれとか指示とかなく話を聴く、それだけだったような気がします。

 母の最期は認知症になっており、母からの思いを聴いて反対に助けてあげられなかったのは残念でなりませんでした。しかし、今傾聴させていただいているクライアントに寄り添って恩返しをしたい思いでいっぱいです。

 現在ケアマネージャーとして施設で勤務していますが、そこにも話しかけることで、笑みを見せてくれる高齢者の方も大勢おられます。少しでも今までの傾聴で学んだことを生かして、これからも良いケアをしていきたいと思います。

 認知症の方の理解をより深く、これからも勉強していき、傾聴の実践と共に歩んでいきたいと思います。

 

 

2019年11月

「これも傾聴でしょうか」 Oさん

 

これは京の片田舎のある農家の話です。

 一家にお嫁さんを迎えて何年か経つと、お嫁さんはお姑さんのことを話し、お姑さんはお嫁さんのことを話す。その内容は、良いこともあるが、あまり良くないこともある。これは当たり前のことと思う。

「○○さんやから言うけどな」と前置きして、家の中の不満をこぼすことが多い。いつも聴き役に徹している。しかし、この家は不満を何も聴かなかった。お姑さんもお嫁さんも偉いと思っていた。そして20年ほど経った時お姑さんが亡くなった。

 それから12年経った時である。お嫁さんがちょっと話を聴いてほしいと言ってきた。お嫁さんの言うには、お姑さんはお風呂に入っていて急に亡くなった。その時家族みんなでテレビを見ながら、「おかあさん、今日はお風呂長いな」と話していた。お嫁さんが「ちょっと見てくるわ」と言って見に行くと、湯船から出ようとして亡くなっていた。

 それから2年ほど経って、再々お姑さんの夢を見るようになった。夢の中で、お姑さんがお嫁さんの身体を叩いたり、手を痛いほど握ったりされる。毎月お姑さんの命日には、お寺さんのお経を頂いているし、みんなでお墓参りもしているのに。どうしたらよいのでしょうか。私はお嫁さんの胸のうちを存分に吐き出してもらいたいと思って、相槌を打ちながら聴くことに徹した。2時間ほど話したとき時計を見て、お昼の用意があるからと急いで帰っていった。

それから半年ほど経ったとき、バス停で出会った。私たち二人だけだったので、お嫁さんは小さい声で「お姑さんは、たまに夢に出てきますけど、気にしないことにしています」と言って、にっこり笑顔を見せた。私は安堵の思いでひそかに胸をなでおろした。

 これも傾聴でしょうか。

 

 

2019年10月

「ボランティアを続けて思うこと」Tさん    

 

「長生きするのもしんどいわ」と母が言う。

「そうやろなぁ」と私。

母は自嘲気味に笑いながら

「私、いつまで生きるんやろ・・・」

 母は95歳、ひとり暮らしである。隣に弟夫婦が住んでいるが、彼らも忙しく自立して暮らす。

若い人に迷惑を掛けたくない一念で気丈である。とはいえ、腰は二つ折れ。

 立ち座りの動作一つにも時間が掛かる。狭い家の中を辺りにつかまりながら10センチもない歩幅でズリズリと移動する。見えているのは自分の足元だけである。

   元気な頃は私より背が高かった・・・やせ細った後姿に胸が痛い。

 おしゃべりをあまり好まなかった母が、今では私が訪ねるのを楽しみにして昔話や日々の思いを語ってくれる。

 パナアルクの傾聴ボランティアを始めてはや4年。傾聴力はまだまだである。超高齢の母がいなければ関わらなかっただろう。

 施設訪問の度に聴く事の難しさを思い知らされる。余計な一言をいれたり沈黙が持てなかったりと同じ失敗をやらかしている。そこに私の性格や長年の人生経験から出来上がった「私」が見えてくる。視野が狭く融通の効かない「私」。

 自分の難点を見るのは難しい。やれやれ・・未熟者!とがっかりする。傾聴ボランティアを続けて自分に気づく機会を得た。これは何よりの収穫である。

 この活動をすることで高齢者の現状を身近に見聞きさせてもらっている。施設を訪ね、わずかな時間ではあるが高齢者の方やそこで働く人たちを目のあたりにした。

 職員さんたちの動きとは対象的に、入所の方たちは手持ち無沙汰な様子である。現場に触れて距離感が縮まった気がする。認めたくなかった母の老いを丸ごと受け止められるようになった。

 この得難い体験を引き続き学びながら、未熟な私が少しでも「熟」して心豊かな高齢者になりたいと願っている。

 

  

2019年9月

   傾聴と私」  Wさん

 

 京都PANA-ALCに入会してから数年経ちますが、この一年ほど仕事や施設との調整などで、傾聴活動を休んでいる状態です。

 ただ、傾聴からまったく離れてしまっているかと言えばそうでもないのです。というのも、実は近所に住む高齢の義母が病気で、週に1,2回は様子を見に行っています。そこで義母は病気の苦しみ、病気を抱えながら生きることの辛さ等を様々話してくれます。その話を聴く時、私はPANA-ALCで学んだことが本当に役に立っているなと思うのです。

 身内の話を聴くことはとても難しいと思います。以前の私であれば同じ話を何度も繰り返されたりすると、段々聴くことが形式的になったり、適当な相槌をしてしまったり、挙句の果てに腹立たしくなってしまったりしたことでしょう。

 しかし、寄り添って聴くことや反復して聴く傾聴の基本が活かされて、私を少し変えてくれたように思うのです。

 義母は、帰るころには「いつも同じことばかり言ってごめんね。来てくれてありがとう。また来てね」と言ってくれます。この言葉で私もほっとしています。

 もし、傾聴を学んでいなかったら、私はこれほど義母の話に耳を傾けることが出来たかなと思います。

 施設への訪問も再開しなければとのことですが、今、身近なところで傾聴とのつながりを感じているところです。

 

 

2019年8月

 「それはおしゃべりです」  Yさん

 

 傾聴の講座を受講して、自分の認識の甘さを痛感しました。

 私は15年ほど前より、京都市ファミリーサポートセンターに提供会員として登録しています。お母さん、お父さんとは、お子さんのお預かり、お迎えの時にお話しします。 

 勿論、ただ、相槌をうつだけでアドバイスはしません。 時には長々と話されて「あー、すっとした」とか「あの時は、泣き泣き迎えにいったんですよ。 会議が長引き、待たせている子供にすまない、預かってもらっている山口さんにすまない、会議は上の空だったんですよ」と後日話されるお母さん。 

「この頃妻の仕事が忙しいためか、怖いんですよ」と言われるお父さんなどがいらっしゃいます。

 他の提供会員は、そんな会話はないようです。 それでお話を聴かせてもらうのは、少々自信をもっていました。 ところが、受講させて頂くと、学生時代に戻ったような内容で、緊張の時間でした。

 2年前より、昭和23年生まれの女性、昨年より昭和6年生まれの女性の傾聴をさせていただいています。 お二人とも「傾聴」とはかけ離れた状態です。

 お一人、ただニコニコ微笑んでいられるだけ、もうお一人は、ご自身の手と私の手を見比べて、さすったり、叩いたり、私のおでこを小突いたり、だけです。 

 でもその間は楽しそうです。

 先日はベッドでウトウトされている時に伺いました。 時々私の方を見られるので「まだ、いるんですよー」と言うとニッコリされていました。

 傾聴の意味から外れているようですが、会話は無くても傍らに座らせてもらい、私の存在を感じ、心穏やかなひと時を過ごしていただくだけでも、何かしらお役にたたせて頂いているように思っています。

 他の入所者さんの中には「私にはだれもきーひん」と小さな声で言われる時があり、心が痛みます。 

 

 

2019年7月

「傾聴」という言葉は知らなくても・・・ Sさん

 

 先日、会員のMさんが「今朝、バスの中で一人のおばあさんの傾聴をしてきたの…」

とお話しになり、私も含めて周りにいた人たちが「???」。

 Mさんが続けます、「そのおばあさんね、バスが京都駅に着くまで、ずーっと身の上話を私にするんですよ」 なるほど!全員、合点がいきます。

Mさんが親身になって、お話しを聴いてくれそうに見えたから、そのおばあさん、気をゆるして身の上話をされたんでしょうね」と誰かが言えば、「相づちをうって、お聴きしたんですよね」とまた一人。

  Mさんは、「知らんぷりもできないし、相づちをうちながらお聴きしましたよ」と苦笑いです。

  こんな場面、確かに経験あります。

 

 私は、今年のお正月に愛宕山の参道で年配の男性から話しかけられました。私も一人、その人も一人だったので、話しかけやすかったのでしょう。

 仮にその人をAさんとしますが、神社に着くまでの約30分間、Aさんはずーっと、年末年始のご家族やご家庭の様子をお話しになっていました。

  時々、今はもう立派な父親になっている息子さんが小さかった頃のことなど、昔話も飛び出し、しっかりお聴きしていないと、お孫さんのことなのか息子さんのことなのか分からなくなってきます。

  私はひたすら聴き役です。Aさん、何だか楽しそうにお話しをしながら登っていきます。私は凍てついている上り坂にも目を配り、Aさんのお話にも気を配り…いつもはしんどさばかりの登山道ですが、この日はしんどさも感じないまま神社にたどり着きました。Aさんに感謝です。一方のAさんも、心なしか晴れやかな笑顔です。

 無事、神社に着いたことに加えて、年末年始のご家庭のバタバタを私に話したことでご気分がすっきりしたのでしょうか。

 社殿の休憩室で少し休まれてから下山するというAさんを残して一足早く神社を出た私は、「これって、ひょっとして傾聴!?」と独り言。

 人は誰かに自分の話を静かに親身になって聴いてほしいものなんだな…と、つくづく思いました。あれやこれやの励ましもアドバイスも不要、じっと辛抱強く聴くこと。

 日常生活のいろいろな場面で「傾聴」は生きていると実感したしだいです

 

  

2019年6月

  『新年号、令和を迎えました』   Fさん

             

 一人ひとりの日本人が明日への希望とともに、それぞれの花を大きく咲かせることができる時代でありたいという願いが込められている、令和の時代を迎え、この機会に傾聴活動を振り返ってみたいと思います。

  10年間の活動の中には、短期間の方や、入院で途切れてしまった方、10年間継続の方、傾聴自体を受け入れてもらえなかった方、最後の時を一緒に迎え互いに感謝の思いを伝えあえた方もありました。 傾聴ボランティアをしていなければ出会えていなかった方々です。 

 俳句で思いを残される方からは、日本語の美しさを教えてもらいました。

 戦後の闇の話、買い出しの話、疎開中の話など、貴重な人生の物語を聴かせていただき、戦争や困難な時代を生きてこられた方々の苦労の上に今の日本の姿がある事を重く受け止めました。

 10年間継続のAさん。身体的に老いていく不安や、認知症が出始めた頃には、不安や戸惑いを聴かせていただき、その年月の中で私自身の認知症に対する認識が変わってきました。 認知症は本人が一番不安に思っている、困っている、という意味がよく分かるようになってきました。

 亡くなったご主人との幸せな生活がいまも支えになっておられるBさん。

 「教育のない国、暴力だけの国もありますが、9年間皆が義務教育を受けられる日本に生まれたことが本当に幸せだと思います。是は是、非は非の判断できる教育を受けています。自然も人間も良い日本に生まれて良かったといつも思っています。」と語っています。

 傾聴活動を通じて、人生の先輩の物語を聴かせていただけることに感謝しています。

 

 絵本を紹介します。 

  『花さき山』   斎藤隆介 作 滝平二郎 絵

 主人公の「あや」は山道に迷ってしまい、ヤマンバと出会います。そして、こんなことを教えてもらいます。

 「優しいことをすると、ひとつ花が咲く。誰かのために何かすると、遠くの山に花が咲いて花さき山になる」「自分のことより人のことを思って、涙をためて辛抱すると、その優しさは、花となって咲く」見返りを求めたり、自己犠牲ではなく、心の中に、美しい一輪の花を咲かせる。

 「切り絵」や「いろ」の美しさも心に残りました。

 

 

2019年5月

  『糸(中島みゆき) Yさん  

 

 去る33日京都市東山区社会福祉協議会主催ミュージックフェスティバルが東山区役所3階大ホールにて開催され200名以上の会員さん(心の障害 )10チームとボランティアが参加しました。 3年半前からここにかかわり月2回傾聴活動を続けています。

この日の歌は中島みゆきの  私も参加して4回の猛練習の結果を発表しました。

私は深くこの歌に傾聴の原点を見出しています。

 

歌詞1番 

なぜめぐり逢うのかを私たちは何も知らない

 (傾聴はだれに会うのかわかりません、何も知らずに逢いにゆきます) 

 

いつ巡り逢うのかを私たちはいつも知らない

(何日に会えるのか最初の傾聴ではわかりません) 

 

縦の糸はあなた横の糸は私

(あなたの人生物語を聴くのは私、あなたの話で、私はあなたの鏡となって私とあなたを照らします ) 

 

織りなす布はいつか誰かを温めうるかもしれない

(私があなたの話を何度も何度も聴かせていただくことで気づきが生まれ、あなたの心に変革が起こり 、ものの見方考え方が変わってゆくのです、他者を変えるではなく私が変わってゆく )

歌詞2番 

転んだ日の跡のささくれ 夢追いかけ走って転んだ日の跡のささくれ

こんな糸が何になるの こころもとなくてふるえてた風の中

(安井は20年前神奈川で傾聴ボランティア活動を一人で始めたとき、人の話を聴くだけで何になるのか役に立っているのか、悶々と悩みました。

偉大な村田久行哲学(東海大)の先生にかなわない、私の傾聴は何になるのか、私でよいのか数年間も迷い続けました) 

 

歌の最後に 逢うべき糸に出逢えることを人は仕合せと呼びます。 

(傾聴に出会えなければ老人ホーム60か所を妻とともに開発し訪問することもなかったですし、そこにおられる高齢者認知症のご利用者様の苦しみによりそうこともなかったでしょう。変わったのはこの安井という傲慢で猪突猛進の59歳が20年間の傾聴活動で大きく変わったのです。ありがとうといえるようになったこの20年間)

 

私の18年間の代表のあとを引き継いでいただいた、京都PANA-ALCの木戸代表、山崎副代表、重川副代表に対して、私も20年間の全精力を注いでお手伝いさせていただきます。傾聴関係者皆様のご尽力に心から感謝申し上げます。

 

 

2019年4月

 『Aさんの傾聴から』 Yさん

 

私が傾聴させて頂いている高齢のAさんは、認知症が進み、以前は昔のお話しをよくして頂いていたが、今は随分会話が少なくなりました。いつも「いい加減にしているんです」と訪問中何度も言われます。「どうなっているのか、どうしたらいいのか・・・・まあしかたがないです」と諦めの言葉が出てきます。

 

毎日の生活の中で自分がどのように段取りをつけていけばよいか、施設職員に促されるままに処していかざるを得ない自分、今日が何日で、昨日あったことも覚えておられない、心許ない状態に諦めを抱いておられるのが痛々しい。

 

「でもここでは、ご飯も美味しく食べられ、いろいろしてもらえるから・・・」と、とつとつとお話しされ、ご自身の“今”をなんとか受け入れようと、懸命に折り合いをつけておられ、なんとも返す言葉に詰まってしまうのが毎回の訪問となっています。

 

 昔の輝いていたころのことも、「昔はもうどうやったか・・・もう忘れてしまって・・・」と、話されます。多くが記憶として薄れてしまったのか、又は懐かしい思い出として大切に残っているものの、それを語る言葉が出て来ないということなのか・・・。

 

言葉を発することが少なくなって、昔の記憶も朧気になってこられたAさんに、どのように寄り添っていけばよいのか・・・。これでよいのか悩みながらですが、お顔を見ればにっこりと微笑み、帰りはありがとうとお礼を言って頂け、それを支えに、Aさんの傾聴を続けています。

 

自分自身もいつか記憶や判断力が失われる時がきても、穏やかに折り合いをつけられるようでありたいものと、Aさんを通して思うようになりました。

 

Aさん、ありがとうございます。